めに立てた一か月分の予算は十七万四千二百両の余であった。当時幕府には二つの宝蔵があって、富士見《ふじみ》にあるを内蔵《うちぐら》ととなえ、蓮池《はすいけ》にあるを外蔵《そとぐら》ととなえたが、そのうち内蔵にあった一千万両の古金をあげてこの進発の入用にあてたというのを見ても、いかに大がかりな計画であったかがわかる。
同じ月の二十二、三日には将軍はすでに京都に着き、二十五日には大坂城にはいった。伝うるところによると、前年尾州の御隠居が総督として芸州《げいしゅう》まで進まれた時は実に長州に向かって開戦する覚悟であった、それにひきかえて今度の進発は初めから戦わない覚悟である。いかに長州が強藩でも天下の敵に当たって戦うことはできまい、去年尾州殿の陣頭にさえ首を下げて服罪したくらいである、まして将軍家の進発と聞いたら驚き恐れて毛利《もうり》父子が大坂に来たり謝罪して御処置を奉ずるのは、あだかも関ヶ原のあとで輝元《てるもと》一家が家康公におけるがごとくであろう。これは幕府方の閣老をはじめ幕軍一同の期待するところであったという。ところが再度の長防征討の企ては、備前家や越前家をはじめこの進発に不服な諸
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