、東照宮の覇業《はぎょう》を追想するものの願いであったのだ。再度の長州征伐は徳川全盛の昔を忘れかねる諸有司の強硬な主張から生まれた。これは長防の征討とは言うものの、その実、種々《さまざま》な目的をもって企てられた。四国外交団をあやなすこともその一つであった。ひそかに朝廷に結ぼうとする外藩をくじくこともその一つであった。飽くまでも公武合体の道を進もうとする一橋慶喜と会津との排斥も、あるいはその奥の奥には隠されてあったと言うものもある。
閏《うるう》五月十六日、将軍はついに征長のために進発した。往時東照宮が関ヶ原合戦の日に用いたという金扇の馬印《うまじるし》はまた高くかかげられた。江戸在府の譜代の諸大名、陸軍奉行、歩兵奉行、騎兵頭、剣術と鎗術《そうじゅつ》と砲術との諸師範役、大目付《おおめつけ》、勘定奉行、軍艦奉行なぞは供奉《ぐぶ》の列の中にあった。その盛んな軍装をみたものは幕府の威信がまだ全く地に墜《お》ちないことを感じたという。江戸の町人で三万両から一万両までの御用金を命ぜられたものが二十人もあり、全国の寺社までが国恩のために上納金を願い出ることを説諭された。幕府がこの進発の入用のた
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