大名の憂慮したような死守の勢いにまで長州方を追いつめてしまった。
幕府方にはすでに砲刃矢石《ほうじんしせき》の間に相見る心が初めからない。金扇のかがやきは高くかかげられても、山陽道まで進もうとはしない。大軍が悠々《ゆうゆう》と閑日月《かんじつげつ》を送る地は豊臣《とよとみ》氏の恩沢を慕うところの大坂である。ある人の言葉に、ほととぎすは啼《な》いて天主台のほとりを過ぎ、五月《さつき》の風は茅渟《ちぬ》の浦端《うらわ》にとどまる征衣を吹いて、兵気も三伏《さんぷく》の暑さに倦《う》みはてた、とある。
過ぐる文久年度の生麦《なまむぎ》事件以上ともいうべき外国関係の大きなつまずきが、この不安な時の空気の中に引き起こって来た。
安政五年の江戸条約が諸外国との間に結ばれてから、すでに足掛け八年になる。この条約によると、神奈川《かながわ》、長崎、函館《はこだて》の三港を開き、新潟《にいがた》の港をも開き、文久二年十二月になって江戸、大坂、兵庫《ひょうご》を開くべき約束であった。文久年度の初めになって見ると、当時の排外熱は非常な高度に達して、なかなか江戸、大坂、兵庫のような肝要な地を開くべくも
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