都のことが言えなくなったとも書き添えてある。
 日ごろ、へりくだった心の持ち主で、付和雷同なぞをいさぎよしとしない景蔵ですらこれだ。この京都便りを読んだ半蔵にはいろいろなことが想像された。同じ革新潮流の渦《うず》の中にあるとは言っても、そこには幾多の不純なもののあることが想像された。その不純を容《い》れながらも、尊王の旗を高くかかげて進んで行こうとしているらしい友だちの姿が半蔵の目に浮かぶ。
「どうだ、青山君。今の時は、一人《ひとり》でも多く勤王の味方を求めている。君も家を離れて来る気はないか。」
 この友だちの声を半蔵は耳の底に聞きつける思いをした。


 京都から出た定飛脚《じょうびきゃく》の聞書《ききがき》として、来たる五月の十日を期する攘夷の布告がいよいよ家茂の名で公《おおやけ》にされたことが、この街道筋まで伝えられたのは、それから間もなくであった。
 こういう中で、いろいろな用事が半蔵の身辺に集まって来た。参覲交代制度の変革に伴い定助郷《じょうすけごう》設置の嘆願に関する件がその一つであった。これは宿々《しゅくじゅく》二十五人、二十五|疋《ひき》の常備御伝馬以外に、人馬を補充
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