》を加うべきはずに候えども、大樹《たいじゅ》(家茂)においてはいまだ若年《じゃくねん》の儀にて、諸事奸吏どもの腹中より出《い》で候おもむき相聞こえ、格別寛大の沙汰《さた》をもって、しばらく宥恕《ゆうじょ》いたし候につき、速《すみや》かに姦徒《かんと》の罪状を糺明《きゅうめい》し、厳刑を加うべし。もし遅緩に及び候わば旬日を出《い》でずして、ことごとく天誅《てんちゅう》を加うべきものなり。」
  亥《い》四月十七日[#地から2字上げ]天下義士
[#ここで字下げ終わり]
 この驚くべき張り紙――おそらく決死の覚悟をもって書かれたようなこの張り紙の発見されたことは、将軍家をして攘夷期限の公布を決意せしめるほどの力があったということを景蔵は書いてよこした。イギリスとの戦争は避けられないかもしれないとある。自分はもとより対外硬の意見で、時局がここまで切迫して来ては攘夷の実行もやむを得まいと信ずる、攘夷はもはや理屈ではない、しかし今の京都には天下の義士とか、皇大国の忠士とか、自ら忠臣義士と称する人たちの多いにはうんざりする、ともある。景蔵はその手紙の末に、自分もしばらく京都に暮らして見て、かえって京
前へ 次へ
全434ページ中29ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング