にいかなるものであるかを半蔵に伝えたいと言って、石清水行幸後に三条の橋詰《はしづ》めに張りつけられたという評判な張り紙の写しまでも書いてよこした。
[#地から7字上げ]徳川家茂
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「右は、先ごろ上洛《じょうらく》後、天朝より仰せ下されたる御趣意のほどもこれあり候《そうろう》ところ、表には勅命尊奉の姿にて、始終|虚喝《きょかつ》を事とし、言を左右によせて万端因循にうち過ぎ、外夷《がいい》拒絶談判の期限等にいたるまで叡聞《えいぶん》を欺きたてまつる。あまつさえ帰府の儀を願い出《い》づるさえあるに、石清水行幸の節はにわかに虚病《けびょう》を構え、一橋中納言《ひとつばしちゅうなごん》においてもその場を出奔いたし、至尊をあなどり奉りたるごとき、その他、板倉周防守《いたくらすおうのかみ》、岡部駿河守《おかべするがのかみ》らをはじめ奸吏《かんり》ども数多くこれありて、井伊掃部頭《いいかもんのかみ》、安藤対馬守《あんどうつしまのかみ》らの遺志をつぎ、賄賂《わいろ》をもって種々|奸謀《かんぼう》を行ない、実《じつ》もって言語道断、不届きの至りなり。右は、天下こぞって誅戮《ちゅうりく
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