の探偵《たんてい》は日夜織るがごとくであり、実にまれなる騒擾《そうじょう》であったという。十二月の十日ごろには加州金沢藩の士卒二千余人が一橋中納言の命を奉じてまず敦賀に着港し、続いて桑名藩の七百余人、会津藩の千余人、津藩の六百余人、大垣藩《おおがきはん》の千余人、水戸藩の七百人が着港した。このほかに、間道、海岸、山々の要所要所へ出兵したのは福井藩、大野藩、彦根藩《ひこねはん》、丸山藩であって、その中でも監軍永原甚七郎に率いられる加州の士卒が先陣を承ったものらしい。水戸浪士の一行がこんな大軍の囲みの中にあって、野も山もほとんど諸藩の士卒で埋《うず》められたとは、半蔵などの想像以上であった。
 武田耕雲斎は新保宿を距《さ》る二十町ほどの村に加州の兵が在陣すると聞き、そこで一書を金沢藩の陣に送って西上の趣意を述べ、諸藩の兵に対して敵意のないことを述べ、一同のために道を開かれたいと願った。その時の加州方からの返書は左のようなものであったとある。
[#ここから2字下げ]
お手紙|披見《ひけん》いたし候《そうろう》。されば御嘆願のおもむきこれあり候につき、滞りなく通行の儀、かつ外諸侯へ対し接戦の存
前へ 次へ
全434ページ中275ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング