じ寄り毛頭これなき旨《むね》、委曲承知いたし候えども、加賀中納言殿人数当宿出張いたし候儀は一橋中納言殿の厳命に候条、是非なく一戦に及ぶべき存じ寄りに御座候。なお、後刻を期し一戦の節は御報に及ぶべく候。貴報かくのごとくに御座候。以上。
 子《ね》十二月十一日[#地から7字上げ]加賀中納言内
[#地から2字上げ]永原甚七郎
   武田伊賀守殿内
     安藤彦之進殿
[#ここで字下げ終わり]
 時に雪は一丈余、浪士らは食も竭《つ》き、力も窮まった。金沢藩ではそれを察し、こんな飢えと寒さとに迫られたものと交戦するのは本意でないとして、その日に白米二百俵、漬《つ》け物十|樽《たる》、酒二|石《こく》、※[#「魚+昜」、198−14]《するめ》二千枚を武田の陣中に送った。同時に来たる十七日の暁天を期して交戦に及ぼうとの戦書をも送った。ところが耕雲斎は藤田小四郎以下三名の将士を使者として金沢藩の陣所に遣《つか》わし、永原甚七郎に面会を求めさせた。甚七郎は帯刀までそこへ投げ捨てるほどにして誠意を示した小四郎らの態度に感じ、一統へ相談に及ぶべき旨を答えて使者をかえした。すると今度は耕雲斎が単身で金沢
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