気は堪《た》えがたい。降蔵と同行した人足も多くそこで果てた。それからも雪は毎日降り続き、峠は幾重《いくえ》にもかさなっていて、前後の日数も覚えないくらいにようやく北国街道の今庄宿《いまじょうじゅく》までたどり着いて見ると、町家は残らず土蔵へ目塗りがしてあり、人一人も残らず逃げ去っていた。もっとも食糧だけは家の前に出してあって、なにぶん火の用心頼むと張り紙をしてあった。その今庄を出てさらに峠にかかるころは深い雪が浪士一行を埋《うず》めた。家数四十軒ほどある新保村《しんぽむら》まで行って、一同はほとんど立ち往生の姿であった。その時の浪士らはすでに加州|金沢藩《かなざわはん》をはじめ、諸藩の大軍が囲みの中にあった。
 降蔵の話によると、彼は水戸浪士中の幹部のものが三、四人の供を連れ、いずれも平服で加州の陣屋へ趣《おもむ》くところを目撃したという。加州からも平服で周旋に来て、浪士らが京都へ嘆願の趣はかなわせるようせいぜい尽力するとの風聞であった。それから加州方からは毎日のように兵糧の応援があった。米、菜の物、煮豆など余るくらい送ってくれた。降蔵らもにわかに閑暇《ひま》になったから、火|焚《た》
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