きその他の用事を弁じ、米も洗えば醤油《しょうゆ》も各隊へ持ち運んだ。師走《しわす》も十日過ぎのこと、浪士らの所持する武器はすべて加州侯へお預けということになった時、副将田丸稲右衛門や参謀山国|兵部《ひょうぶ》らは武田耕雲斎を諫《いさ》め、武器を渡すことはいかにも残念であると言って、その翌日の暁《あけ》八つ時《どき》を期し囲みを衝《つ》いて切り抜ける決心をせよと全軍に言い渡し、降蔵らまで九つ時ごろから起きて兵糧を炊《た》いたが、とうとう耕雲斎の意見で浪士軍中の鎗や刀は全部先方へ渡してしまった。二十五、六日のころには一同は加州侯の周旋で越前の敦賀《つるが》に移った。そこにある三つの寺へ惣《そう》人数を割り入れられ、加州方からは朝夕の食事に肴《さかな》を添え、昼は香の物、酒も毎日一本ずつは送って来た。手ぬぐい、足袋《たび》、その他、手厚い取り扱いで、病人には薬を与え、医師まで出張して来て高価な薬品をあてがわれたが、その寺で病死した浪士も多かった。
正月の二十七日は浪士らが加州侯の手を離れて幕府総督田沼|玄蕃頭《げんばのかみ》に引き渡された日であった。その日は加州から浪士一同へ酒肴《しゅこう
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