の景蔵は、半蔵から見れば兄のような人だった。割合に年齢《とし》の近い香蔵に比べると、この人から受け取る手紙は文句からして落ち着いている。その便《たよ》りには、香蔵を京都に迎えたよろこびが述べてあり、かねてうわさのあった石清水行幸《いわしみずぎょうこう》の日のことがその中に報じてある。
景蔵の手紙はなかなかこまかい。それによると、今度の行幸については種々《さまざま》な風説が起こったとある。国事寄人《こくじよりうど》として活動していた侍従中山|忠光《ただみつ》は官位を朝廷に返上し、長州に脱走して毛利真斎《もうりしんさい》と称し、志士を糾合《きゅうごう》して鳳輦《ほうれん》を途中に奪い奉る計画があるというような、そんな風説も伝わったとある。その流言に対して会津《あいづ》方からでも出たものか、八幡《はちまん》の行幸に不吉な事のあるやも測りがたいとは実に苦々《にがにが》しいことだが、万一それが事実であったら、武士はもちろん、町人百姓までこの行幸のために尽力守衛せよというような張り紙を三条大橋の擬宝珠《ぎぼし》に張りつけたものがあって、役所の門前で早速《さっそく》その張り紙は焼き捨てられたという
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