ら届けて来たんですよ。安兵衛《やすべえ》さんが京都の方へ商法《あきない》の用で行った時に、これを預かって来たそうですよ。」
 その時お民は、御嶽参籠後の半蔵がそれほど疲れたらしい様子もないのに驚いたというふうで、夫の顔をながめた。「本陣鼻」と言われるほど大きく肉厚《にくあつ》な鼻の先へしわを寄せて笑うところから、静かな口もとまで、だんだん父親の吉左衛門に似て来るような夫の容貌《ようぼう》をながめて置いて、何やらいそがしげにそのそばを離れて行くのも彼女だ。
「お師匠さま、おくたぶれでしょう。」
 と言って、勝重もそこへ半蔵の顔を見に来た。
「わたしはそれほどでもない。君は。」
「平気ですよ。往《ゆ》きを思うと、帰りは実に楽でした。わたしもこれから田楽《でんがく》を焼くお手伝いです。お師匠さまに食べさせたいッて、今|囲炉裏《いろり》ばたでみんなが大騒ぎしているところです。」
「もう山椒《さんしょ》の芽が摘めるかねえ。王滝じゃまだ梅だったがねえ。」
 勝重もそばを離れて行った。半蔵はお民の持って来た手紙を開いて見た。
 もはやしばらく京都の方に滞在して国事に奔走し平田派の宣伝に努めている友人
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