もない、これはよろしく城を守っていて浪士らの通り過ぎるままに任せるがいい、後方《うしろ》から鉄砲でも撃ちかけて置けば公儀への御義理はそれで済む、そんなことも言った。しかし君侯は現に幕府の老中である、その諏訪藩として浪士らをそう放縦《ほしいまま》にさせて置けないと言うものがあり、大げさの風評が当てになるものでもないと言うものがあって、軽々しい行動は慎もうという説が出た。そこへ諏訪藩では江戸屋敷からの急使を迎えた。その急使は家中でも重きを成す老臣で、幕府のきびしい命令をもたらして来た。やがて水戸浪士が望月《もちづき》まで到着したとの知らせがあって見ると、大砲十五門、騎馬武者百五十人、歩兵七百余、旌旗《せいき》から輜重駄馬《しちょうだば》までがそれに称《かな》っているとの風評には一藩のものは皆顔色を失ってしまった。その時、用人の塩原彦七《しおばらひこしち》が進み出て、浪士らは必ず和田峠を越して来るに相違ない。峠のうちの樋橋《といはし》というところは、谷川を前にし、後方《うしろ》に丘陵を負い、昔時《むかし》の諏訪頼重《すわよりしげ》が古戦場でもある。高島城から三里ほどの距離にある。当方より進ん
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