でその嶮岨《けんそ》な地勢に拠《よ》り、要所要所を固めてかかったなら、敵を討《う》ち取ることができようと力説した。幸いなことには、幕府追討総督として大兵を率いる田沼|玄蕃頭《げんばのかみ》が浪士らのあとを追って来ることが確かめられた。諏訪藩の家老はじめ多くのものはそれを頼みにした。和田峠に水戸浪士を追いつめ、一方は田沼勢、一方は高島勢で双方から敵を挾撃《きょうげき》する公儀の手はずであるということが何よりの力になった。一藩の態度は決した。さてこそ斥候隊の出動となったのである。
 元治《げんじ》元年十一月十九日のことで、峠の上へは朝から深い雨が来た。


 やがて和田方面へ偵察《ていさつ》に出かけて行ったものは、また雨をついて峠の上に引き返して来る。いよいよ水戸浪士がその日の晩に長窪《ながくぼ》和田両宿へ止宿のはずだという風聞が伝えられるころには、諏訪藩の物頭《ものがしら》矢島|伝左衛門《でんざえもん》が九人の従者を引き連れ和田峠|御境目《おさかいめ》の詰方《つめかた》として出張した。手明きの若党、鎗持《やりも》ちの中間《ちゅうげん》、草履取《ぞうりと》り、具足持《ぐそくも》ち、高張持《
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