しい者は見かけ次第すみやかに討《う》ち取れと言いつけた。あの湊《みなと》での合戦《かっせん》以来、水戸の諸生党を応援した参政田沼|玄蕃頭《げんばのかみ》は追討総督として浪士らのあとを追って来た。幕府は一方に長州征伐の事に従いながら、大きな網を諸国に張って、一人残らず水府義士なるものを滅ぼし尽くそうとしていた。その時はまだ八十里も先から信じがたいような種々《さまざま》な風聞が諏訪藩へ伝わって来るころだ。高島城に留守居するものだれ一人として水戸浪士の来ることなぞを意《こころ》にかけるものもなかった。初めて浪士らが上州にはいったと聞いた時にも、真偽のほどは不確実《ふたしか》で、なお相去ること数十里の隔たりがあった。諏訪藩ではまだまだ心を許していた。その浪士らが信州にはいったと聞き、佐久《さく》へ来たと聞くようになると、急を知らせる使いの者がしきりに飛んで来る。にわかに城内では評定《ひょうじょう》があった。あるものはまず甲州口をふさぐがいいと言った。あるものは水戸の精鋭を相手にすることを考え、はたして千余人からの同勢で押し寄せて来たら敵しうるはずもない、沿道の諸藩が討《う》とうとしないのは無理
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