門を説き、日光参拝と唱えて最初から下野国大平山《しもつけのくにおおひらやま》にこもったのも小四郎であった。水戸の家老職を父とする彼もまた、四人の統率者より成る最高幹部の一人たることを失わなかった。
 高崎での一戦の後、上州|下仁田《しもにた》まで動いたころの水戸浪士はほとんど敵らしい敵を見出さなかった。高崎勢は同所の橋を破壊し、五十人ばかりの警固の組で銃を遠矢に打ち掛けたまでであった。鏑川《かぶらがわ》は豊かな耕地の間を流れる川である。そのほとりから内山峠まで行って、嶮岨《けんそ》な山の地勢にかかる。朝早く下仁田を立って峠の上まで荷を運ぶに慣れた馬でも、茶漬《ちゃづ》けごろでなくては帰れない。そこは上州と信州の国境《くにざかい》にあたる。上り二里、下り一里半の極《ごく》の難場だ。千余人からの同勢がその峠にかかると、道は細く、橋は破壊してある。警固の人数が引き退いたあとと見えて、兵糧雑具等が山間《やまあい》に打ち捨ててある。浪士らは木を伐《き》り倒し、その上に蒲団《ふとん》衣類を敷き重ねて人馬を渡した。大砲、玉箱から、御紋付きの長持、駕籠《かご》までそのけわしい峠を引き上げて、やがて一同
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