いはあっても、水戸のように惨酷《ざんこく》をきわめたところはない。誠党が奸党を見るのは極悪《ごくあく》の人間と心の底から信じたのであって、奸党が誠党を見るのもまたお家の大事も思わず御本家大事ということも知らない不忠の臣と思い込んだのであった。水戸の党派争いはほとんど宗教戦争に似ていて、成敗利害の外にあるものだと言った人もある。いわゆる誠党は天狗連《てんぐれん》とも呼び、いわゆる奸党は諸生党とも言った。当時の水戸藩にある才能の士で、誠でないものは奸、奸でないものは誠、両派全く分かれて相鬩《あいせめ》ぎ、その中間にあるものをば柳と呼んだ。市川三左衛門をはじめ諸生党の領袖《りょうしゅう》が国政を左右する時を迎えて見ると、天狗連の一派は筑波山の方に立てこもり、田丸稲右衛門《たまるいなえもん》を主将に推し、亡《な》き御隠居の御霊代《みたましろ》を奉じて、尊攘の志を致《いた》そうとしていた。かねて幕府は水戸の尊攘派を毛ぎらいし、誠党領袖の一人なる武田耕雲斎《たけだこううんさい》と筑波に兵を挙《あ》げた志士らとの通謀を疑っていた際であるから、早速《さっそく》耕雲斎に隠居慎《いんきょつつし》みを命じ、
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