諸生党の三左衛門らを助けて筑波の暴徒を討《う》たしめるために関東十一藩の諸大名に命令を下した。三左衛門は兵を率いて江戸を出発し、水戸城に帰って簾中《れんちゅう》母公|貞芳院《ていほういん》ならびに公子らを奉じ、その根拠を堅めた。これを聞いた耕雲斎らは水戸家の存亡が今日にあるとして、幽屏《ゆうへい》の身ではあるが禁を破って水戸を出発した。そして江戸にある藩主を諫《いさ》めて奸徒《かんと》の排斥を謀《はか》ろうとした。かく一藩が党派を分かち、争闘を事とし、しばらくも鎮静する時のなかったため、松平|大炊頭《おおいのかみ》(宍戸侯《ししどこう》)は藩主の目代《もくだい》として、八月十日に水戸の吉田に着いた。ところが、水戸にある三左衛門はこの鎮撫《ちんぶ》の使者に随行して来たものの多くが自己の反対党であるのを見、その中には京都より来た公子|余四麿《よしまろ》の従者や尊攘派の志士なぞのあるのを見、大炊頭が真意を疑って、その入城を拒んだ。朋党《ほうとう》の乱はその結果であった。
混戦が続いた。大炊頭、耕雲斎、稲右衛門、この三人はそれぞれの立場にあったが、尊攘の志には一致していた。水戸城を根拠とする
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