うやくめぐって来て、だれもが右すべきか左すべきかと狼狽《ろうばい》する時に当たっては、二百何十年来の旧を守って来た諸藩のうちで藩論の分裂しないところとてもなかった。水戸はことにそれが激しかったのだ。『大日本史』の大業を成就して、大義名分を明らかにし、学問を曲げてまで世に阿《おもね》るものもある徳川時代にあってとにもかくにも歴史の精神を樹立したのは水戸であった。彰考館《しょうこうかん》の修史、弘道館《こうどうかん》の学問は、諸藩の学風を指導する役目を勤めた。当時における青年で多少なりとも水戸の影響を受けないものはなかったくらいである。いかんせん、水戸はこの熱意をもって尊王佐幕の一大矛盾につき当たった。あの波瀾《はらん》の多い御隠居の生涯《しょうがい》がそれだ。遠く西山公《せいざんこう》以来の遺志を受けつぎ王室尊崇の念の篤《あつ》かった御隠居は、紀州や尾州の藩主と並んで幕府を輔佐する上にも人一倍責任を感ずる位置に立たせられた。この水戸の苦悶《くもん》は一方に誠党と称する勤王派の人たちを生み、一方に奸党《かんとう》と呼ばるる佐幕派の人たちを生んだ。一つの藩は裂けてたたかった。当時諸藩に党派争
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