が動いて行ったあとには、消防用の梯子《はしご》が続いた。革羽織《かわばおり》、兜頭巾《かぶとずきん》の火事|装束《しょうぞく》をした人たちはそれらの火消し人足を引きつれて半蔵らの目の前を通り過ぎた。
 長州屋敷の打ち壊《こわ》しが始まったのだ。幕府はおのれにそむくものに対してその手段に出た。江戸じゅうの火消し人足が集められて、まず日比谷《ひびや》にある毛利家《もうりけ》の上屋敷が破壊された。かねて長州方ではこの事のあるのを予期してか、あるいは江戸を見捨てるの意味よりか、先年諸大名の家族が江戸屋敷から解放されて国勝手《くにがって》の命令が出たおりに、日比谷にある長州の上屋敷では表奥《おもておく》の諸殿を取り払ったから、打ち壊されたのは四方の長屋のみであった。麻布龍土町《あざぶりゅうどちょう》の中屋敷、俗に長州の檜屋敷《ひのきやしき》と呼ぶ方にはまだ土蔵が二十か所もあって、広大な建物も残っていた。打ち壊しはそこでも始まった。大きな柱は鋸《のこぎり》や斧《おの》で伐《き》られ、それに大綱を鯱巻《しゃちま》きにして引きつぶされた。諸道具諸書物の類《たぐい》は越中島で焼き捨てられ、毛利家の定紋《
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