じょうもん》のついた品はことごとくふみにじられた。
やがて京都にある友人景蔵からのめずらしい便《たよ》りが、両国|米沢町《よねざわちょう》十一屋あてで、半蔵のもとに届くようになった。あの年上の友人が安否のほども気づかわれていた時だ。彼は十一屋からそれを受け取って来て、相生町の二階でひらいて見た。
とりあえず彼はその手紙に目を通して、あの友人も無事、師|鉄胤《かねたね》も無事、京都にある平田同門の人たちのうち下京《しもぎょう》方面のものは焼け出されたが幸いに皆無事とあるのを確かめた。さらに彼は繰り返し読んで見た。
相変わらず景蔵の手紙はこまかい。過ぐる年の八月十七日の政変に、王室回復の志を抱《いだ》く公卿《くげ》たち、および尊攘派《そんじょうは》の志士たちと気脈を通ずる長州藩が京都より退却を余儀なくされたことを思えば、今日この事のあるのは不思議もないとして、七月十九日前後の消息を伝えてある。
池田屋の変は六月五日の早暁のことであった。守護職、所司代《しょしだい》、および新撰組《しんせんぐみ》の兵はそこに集まる諸藩の志士二十余名を捕えた。尊攘派の勢力を京都に回復し、会津《あいづ
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