衛や平助と一緒になり、さらに三人連れだって殺気のあふれた町々を浅草橋の見附《みつけ》から筋違《すじかい》の見附まで歩いて行って見たのは二十三日のことであったが、そこに人だかりのする高札場《こうさつば》にはすでに長州征伐のお触《ふ》れ書《しょ》が掲げられていた。
 七月二十九日はちょうど二百十日の前日にあたる。半蔵は他の二人《ふたり》の庄屋と共に、もっと京都の方の事実を確かめたいつもりで、東片町《ひがしかたまち》の屋敷に木曾福島の山村氏が家中衆を訪《たず》ねた。そこでは京都まで騒動聞き届け役なるものを仰せ付けられた人があって、その前夜にわかに屋敷を出立したという騒ぎだ。京都合戦の真相もほぼその屋敷へ行ってわかった。確かな書面が名古屋のお留守居からそこに届いていて、長州方の敗北となったこともわかった。
 その時になって見ると、長州征伐の命令が下ったばかりでなく、松平大膳太夫《まつだいらだいぜんのだゆう》ならびに長門守《ながとのかみ》は官位を剥《は》がれ、幕府より与えられた松平姓と将軍家|御諱《おんいみな》の一字をも召し上げられた。長防両国への物貨輸送は諸街道を通じてすでに堅く禁ぜられていた
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