のである。たといその制度の復活が幕府の頽勢《たいせい》を挽回《ばんかい》する上からも、またこの深刻な不景気から江戸を救う上からも幕府の急務と考えられて来たにもせよ、繁文縟礼《はんぶんじょくれい》が旧のままであったら、そのために苦しむものは地方の人民であったからで。
 しかし、道中奉行の協議中、協議中で、庄屋側からの願いの筋も容易にはかどらなかった。半蔵らは江戸の町々に山王社《さんのうしゃ》の祭礼の来るころまで待ち、月を越えて将軍が天璋院《てんしょういん》や和宮様《かずのみやさま》と共に新たに土木の落成した江戸城西丸へ田安御殿《たやすごてん》の方から移るころまで待った。
 七月の二十日ごろまで待つうちに、さらに半蔵らの旅を困難にすることが起こった。
「長州様がいよいよ御謀反《ごむほん》だそうな。」
 そのうわさは人の口から口へと伝わって行くようになった。早乗りの駕籠《かご》は毎日|幾立《いくたて》となく町へ急いで来て、京都の方は大変だと知らせ、十九日の昼時に大筒《おおづつ》鉄砲から移った火で洛中《らくちゅう》の町家の大半は焼け失《う》せたとのうわさをすら伝えた。半蔵が十一屋まで行って幸兵
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