《たず》ねしたことがございました。青山さんは御存じないかもしれませんが、この喜多村先生がまた変わり物と来てる。元は幕府の奥詰《おくづめ》のお医者様ですが、開港当時の函館《はこだて》の方へ行って長いこと勤めていらっしゃるうちに、士分に取り立てられて、間もなく函館奉行の組頭でさ。今じゃ江戸へお帰りになって、昌平校《しょうへいこう》の頭取《とうどり》から御目付(監察)に出世なすった。外交|掛《がか》りを勤めておいでですが、あの調子で行きますと今に外国奉行でしょう。手前もこんな旅籠屋渡世《はたごやとせい》をして見ていますが、あんなに出世をなすったかたもめずらしゅうございます。」
「徳川幕府に人がないでもありませんかね。」
 この平助のトボケた調子に、隠居も笑い出した、外国貿易に、開港の結果に、それにつながる多くの人の浮沈《うきしずみ》に、聞いている半蔵には心にかかることばかりであった。
 その日から、半蔵は両国橋の往《い》き還《かえ》りに筑波山《つくばさん》を望むようになった。関東の平野の空がなんとなく戦塵《せんじん》におおわれて来たことは、それだけでも役人たちの心を奪い、お役所の事務を滞らせ
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