か。それは、よくよく村柄《むらがら》をお糺《ただ》しの上でなければ、容易に定助郷を仰せ付けがたいとの理由による。しかし、五人の総代からの嘆願も余儀なき事情に聞こえるからと言って、道中奉行は元治元年の二月から向こう六か月を限り、定助郷のかわりに当分助郷を許した。そして木曾下四宿への当分助郷としては伊奈《いな》百十九か村、中三宿へは伊奈九十九か村、上四宿へは筑摩郡《ちくまごおり》八十九か村と安曇郡《あずみごおり》百四十四か村を指定した。このうち遠村で正人馬《しょうじんば》を差し出しかね代永勤《だいえいづと》めの示談に及ぶとしても、一か年高百石につき金五両の割合より余分には触れ当てまいとの約束であった。過ぐる半年近くの半蔵らの経験によると、この新規な当分助郷の村数が驚くばかりに拡大されたことは、かえって以前からの勤め村に人馬の不参を多くするという結果を招いた。これはどうしても前年の総代が嘆願したように、やはり東海道の例にならって定助郷を設置するにかぎる。道中奉行に誠意があるなら、適当な村柄を糺《ただ》されたい、もっと助郷の制度を完備して街道の混乱を防がれたい。もしこの木曾十一宿の願いがいれら
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