子が動いた。その時、徒士目付は奉行の意を受けて、庄屋側から差し出した人馬立辻帳《じんばたてつじちょう》の検閲を終わったら、いずれ三人に沙汰《さた》するであろうと言った。なお、過ぐる亥年《いどし》の三月から七月まで、将軍還御のおりのお供と諸役人が通行中に下された人馬賃銭の仕訳書上帳《しわけかきあげちょう》なるものを至急国もとから取り寄せて差し出せと言いつけた。
細目にわたることは書面で、あとから庄屋側より差し出すように。そんな約束で半蔵らは神田橋外の奉行屋敷を出た。江戸城西丸の新築工事ができ上がる日を待つと見えて、剃髪《ていはつ》した茶坊主なぞが用事ありげに町を通り過ぎるのも目につく。城内で給仕役《きゅうじやく》を勤めるそれらの茶坊主までが、大名からもらうのを誇りとしていた縮緬《ちりめん》の羽織《はおり》も捨て、短い脇差《わきざし》も捨て、長い脇差を腰にぶちこみながら歩くというだけにも、武道一偏の世の中になって来たことがわかる。幕府に召し出されて幅《はば》をきかせている剣術師なぞは江戸で大変な人気だ。当時、御家人《ごけにん》旗本《はたもと》の間の大流行は、黄白《きじろ》な色の生平《
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