た。
「田舎に長く居過ぎた故《せい》だ」こう言って見たのである。
 古本を猟《あさ》ることはこの節彼が見つけた慰藉《なぐさみ》の一つであった。これ程|費用《ついえ》が少くて快楽《たのしみ》の多いものはなかろう、とは持論である。その日も例のように錦町《にしきちょう》から小川町の通りへ出た。そこここと尋ねあぐんで、やがてぶらぶら裏|神保町《じんぼうちょう》まで歩いて行くと、軒を並べた本屋町が彼の眼前《めのまえ》に展《ひら》けた。あらゆる種類の書籍が客の眼を引くように飾ってある。棚曝《たなざら》しになった聖賢の伝記、読み捨てられた物語、獄中の日誌、世に忘れられた詩歌もあれば、酒と女と食物《くいもの》との手引草もある。今日までの代の変遷《うつりかわり》を見せる一種の展覧会、とでも言ったような具合に、あるいは人間の無益な努力、徒《いたずら》に流した涙、滅びて行く名――そういうものが雑然《ごちゃごちゃ》陳列してあるかのように見えた。諸方《ほうぼう》の店頭《みせさき》には立《たっ》て素見《ひやか》している人々もある。こういう向の雑書を猟ることは、尤《もっと》も、相川の目的ではなかったが、ある店の前に
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