。永田は遠からず帰朝すると言うし、高瀬は山の中から出て来たし、いよいよ原も家を挙げて出京するとなれば、連中は過ぐる十年間の辛酸を土産《みやげ》話にして、再び東京に落合うこととなる。不取敢《とりあえず》、相川は椅子を離れた。高く薄暗い灰色の壁に添うて、用事ありげな人々と摩違《すれちが》いながら、長い階段を下りて行った。
 原は応接室に待っていた。
「君の出て来ることは、乙骨からも聞いたし、高瀬からも聞いた」と相川は馴々《なれなれ》しく、「時に原君、今度は細君も御一緒かね」
「いいえ」と原はすこし改まったような調子で、「僕一人で出て来たんです。種々《いろいろ》都合があって、家《うち》の者は彼地《あっち》に置いて来ました。それにまだ荷物も置いてあるしね――」
「それじゃ、君、もう一度金沢へ帰らんけりゃなるまい」
「ええ、帰って、家を片付けて、それから復《ま》た出て来ます」
「そいつは大変だね。何しろ、家を移すということは容易じゃ無いよ――加之《おまけ》に遠方と来てるからなあ」
 相川は金縁の眼鏡を取除《とりはず》して丁寧に白い※[#「巾+白」、第4水準2−8−83]子《ハンケチ》で拭《ふ》い
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