彼様《あん》な無学な女は子供の教育なんか出来よう筈も無い。実際、我輩の家庭で衝突の起因《おこり》と言へば必ず子供のことさ。子供がある為に夫婦喧嘩もするやうなものだが、又、その夫婦喧嘩をした為に子供が出来たりする。あゝ、もう沢山《たくさん》だ、是上出来たら奈何《どう》しよう、一人子供が増《ふえ》れば其丈《それだけ》貧苦を増すのだと思つても、出来るものは君どうも仕方が無いぢやないか。今の家内が三番目の女の児を産んだ時、えゝお末と命《つ》けてやれ、お末とでも命けたら終《おしまひ》に成るか、斯う思つたら――どうでせう、君、直にまた四番目サ。仕方が無いから、今度は留吉とした。まあ、五人の子供に側で泣き立てられて見たまへ。なか/\遣《や》りきれた訳のものでは無いよ。惨苦、惨苦――我輩は子供の多い貧乏な家庭を見る度に、つく/″\其惨苦を思ひやるねえ。五人の子供ですら食はせるのは容易ぢやない、若《も》しまた是上に出来でもしたら、我輩の家なぞでは最早《もう》奈何《どう》していゝか解らん。』
斯う言つて、敬之進は笑つた。熱い涙は思はず知らず流れ落ちて、零落《おちぶ》れた袖を湿《ぬら》したのである。
『我輩は君、これでも真面目なんだよ。』と敬之進は、額と言はず、頬と言はず、腮《あご》と言はず、両手で自分の顔を撫で廻した。『どうでせう、省吾の奴も君の御厄介に成つてるが、彼様《あん》な風で物に成りませうか。もう少許《すこし》活溌だと好いがねえ。どうも女のやうな気分の奴で、泣易くて困る。平素《しよツちゆう》弟に苦《いぢ》められ通しだ。同じ自分の子で、どれが可愛くて、どれが憎いといふことは有さうも無ささうなものだが、それがそれ、妙なもので、我輩は彼の省吾が可愛さうでならない。彼の通り弱いものだから、其丈《それだけ》哀憐《あはれみ》も増すのだらうと思ふね。家内はまた弟の進|贔顧《びいき》。何ぞといふと、省吾の方を邪魔にして、無暗《むやみ》に叱るやうなことを為る。そこへ我輩が口を出すと、前妻《せんさい》の子ばかり可愛がつて進の方は少許《ちつと》も関《かま》つて呉れんなんて――直に邪推だ。だからもう我輩は何にも言はん。家内の為る通りに為せて、黙つて見て居るのさ。成るべく家内には遠ざかるやうにして、密《そつ》と家《うち》を抜け出して来ては、独りで飲むのが何よりの慰藉《たのしみ》だ。稀《たま》に我輩が何か言はうものなら、私は斯様《こんな》に裸体《はだか》で嫁に来やしなかつたなんて、其を言はれると一言《いちごん》も無い。実際、彼奴《あいつ》が持つて来た衣類《もの》は、皆な我輩が飲んで了つたのだから――はゝゝゝゝ。まあ、君等の目から見たら、さぞ我輩の生涯なぞは馬鹿らしく見えるだらうねえ。』
述懐は反《かへ》つて敬之進の胸の中を軽くさせた。其晩は割合に早く酔つて、次第に物の言ひ様も煩《くど》く、終《しまひ》には呂律《ろれつ》も廻らないやうに成つて了つたのである。
軈《やが》て二人は斯《こ》の炉辺《ろばた》を離れた。勘定は丑松が払つた。笹屋を出たのは八時過とも思はれる頃。夜の空気は暗く町々を包んで、往来の人通りもすくない。気が狂《ちが》つて独語《ひとりごと》を言ひ乍ら歩く女、酔つて家《うち》を忘れたやうな男、そんな手合が時々二人に突当つた。敬之進は覚束《おぼつか》ない足許《あしもと》で、やゝともすれば往来の真中へ倒れさうに成る。酔眼|朦朧《もうろう》、星の光すら其瞳には映りさうにも見えなかつた。拠《よんどころ》なく丑松は送り届けることにして、ある時は右の腕で敬之進の身体《からだ》を支へるやうにしたり、ある時は肩へ取縋《とりすが》らせて背負《おぶ》ふやうにしたり、ある時は抱擁《だきかゝ》へて一緒に釣合を取り乍ら歩いた。
漸《やつと》の思で、敬之進を家まで連れて行つた時は、まだ細君も音作夫婦も働いて居た。人々は夜露を浴び乍ら、屋外《そと》で仕事を為て居るのであつた。丑松が近《ちかづ》くと、それと見た細君は直に斯う声を掛けた。
『あちや、まあ、御困りなすつたでごはせう。』
第五章
(一)
十一月三日はめづらしい大霜。長い/\山国の冬が次第に近《ちかづ》いたことを思はせるのは是《これ》。其朝、丑松の部屋の窓の外は白い煙に掩《おほ》はれたやうであつた。丑松は二十四年目の天長節を飯山の学校で祝ふといふ為に、柳行李《やなぎがうり》の中から羽織袴を出して着て、去年の外套《ぐわいたう》に今年もまた身を包んだ。
暗い楼梯《はしごだん》を下りて、北向の廊下のところへ出ると、朝の光がうつくしく射して来た。溶けかゝる霜と一緒に、日にあたる裏庭の木葉《このは》は多く枝を離れた。就中《わけても》、脆《もろ》いのは銀杏《いてふ》で、梢《こずゑ》には最早《もう》一葉《ひとは》の黄もとゞめない。丁度其|霜葉《しもば》の舞ひ落ちる光景《ありさま》を眺め乍ら、廊下の古壁に倚凭《よりかゝ》つて立つて居るのは、お志保であつた。丑松は敬之進のことを思出して、つく/″\彼《あ》の落魄《らくはく》の生涯《しやうがい》を憐むと同時に、亦《ま》た斯《こ》の人を注意して見るといふ気にも成つたのである。
『お志保さん。』と丑松は声を掛けた。『奥様に左様《さう》言つて呉れませんか――今日は宿直の当番ですから何卒《どうか》晩の弁当をこしらへて下さるやうに――後で学校の小使を取りによこしますからツて――ネ。』
と言はれて、お志保は壁を離れた。娘の時代には克《よ》くある一種の恐怖心から、何となく丑松を憚《はゞか》つて居るやうにも見える。何処か敬之進に似たところでもあるか、斯《か》う丑松は考へて、其となく俤《おもかげ》を捜《さが》して見ると、若々しい髪のかたち、額つき――まあ、どちらかと言へば、彼《あ》の省吾は父親似、斯《こ》の人はまた亡《な》くなつたといふ母親の方にでも似たのであらう。『眼付なぞはもう彷彿《そつくり》さ』と敬之進も言つた。
『あの、』とお志保はすこし顔を紅《あか》くし乍ら、『此頃《こなひだ》の晩は、大層父が御厄介に成りましたさうで。』
『いや、私の方で反《かへ》つて失礼しましたよ。』と丑松は淡泊《さつぱり》した調子で答へた。
『昨日、弟が参りまして、其話をいたしました。』
『むゝ、左様《さう》でしたか。』
『さぞ御困りで御座《ござい》ましたらう――父が彼様《あゝ》いふ風ですから、皆さんの御厄介にばかり成りまして。』
敬之進のことは一時《いつとき》もお志保の小な胸を離れないらしい。柔嫩《やはらか》な黒眸《くろひとみ》の底には深い憂愁《うれひ》のひかりを帯びて、頬も紅《あか》く泣腫《なきは》れたやうに見える。軈《やが》て斯ういふ言葉を取交した後、丑松は外套の襟で耳を包んで、帽子を冠つて蓮華寺を出た。
とある町の曲り角で、外套の袖袋《かくし》に手を入れて見ると、古い皺《しわ》だらけに成つた手袋が其内《そのなか》から出て来た。黒の莫大小《メリヤス》の裏毛の付いたやつで、皺を延ばして填《は》めた具合は少許《すこし》細く緊《しま》り過ぎたが、握つた心地《こゝろもち》は暖かであつた。其手袋を鼻の先へ押当てゝ、紛《ぷん》とした湿気《しけ》くさい臭気《にほひ》を嗅いで見ると、急に過去《すぎさ》つた天長節のことが丑松の胸の中に浮んで来る。去年――一昨年――一昨々年――噫《あゝ》、未だ世の中を其程《それほど》深く思ひ知らなかつた頃は、噴飯《ふきだ》したくなるやうな、気楽なことばかり考へて、この大祭日を祝つて居た。手袋は旧《もと》の儘《まゝ》、色は褪《さ》めたが変らずにある。それから見ると人の精神《こゝろ》の内部《なか》の光景《ありさま》の移り変ることは。これから将来《さき》の自分の生涯は畢竟《つまり》奈何《どう》なる――誰が知らう。来年の天長節は――いや、来年のことは措《お》いて、明日のことですらも。斯う考へて、丑松の心は幾度《いくたび》か明くなつたり暗くなつたりした。
さすがに大祭日だ。町々の軒は高く国旗を掲げ渡して、いづれの家も静粛に斯の記念の一日《ひとひ》を送ると見える。少年の群は喜ばしさうな声を揚げ乍ら、霜に濡れた道路を学校の方へと急ぐのであつた。悪戯盛《いたづらざか》りの男の生徒、今日は何時にない大人びた様子をして、羽織袴でかしこまつた顔付のをかしさ。女生徒は新しい海老茶袴《えびちやばかま》、紫袴であつた。
(二)
国のみかどの誕生の日を祝ふために、男女の生徒は足拍子揃へて、二階の式場へ通ふ階段を上つた。銀之助は高等二年を、文平は高等一年を、丑松は高等四年を、いづれも受持々々の組の生徒を引連れて居た。退職の敬之進は最早《もう》客分ながら、何となく名残が惜まるゝといふ風で、旧《もと》の生徒の後に随《つ》いて同じやうに階段を上るのであつた。
斯の大祭の歓喜《よろこび》の中にも、丑松の心を驚かして、突然新しい悲痛《かなしみ》を感ぜさせたことがあつた。といふは、猪子蓮太郎の病気が重くなつたと、ある東京の新聞に出て居たからで。尤《もつと》も丑松の目に触れたは、式の始まるといふ前、審《くは》しく読む暇も無かつたから、其儘《そのまゝ》懐中《ふところ》へ押込んで来たのであつた。世には短い月日の間に長い生涯を送つて、あわただしく通り過ぎるやうに生れて来た人がある。恐らく蓮太郎も其一人であらう。新聞には最早《もう》むつかしいやうに書いてあつた。あゝ、先輩の胸中に燃える火は、世を焼くよりも前《さき》に、自分の身体を焚《や》き尽して了《しま》ふのであらう。斯ういふ同情《おもひやり》は一時《いつとき》も丑松の胸を離れない。猶《なほ》繰返し読んで見たさは山々、しかし左様《さう》は今の場合が許さなかつた。
其日は赤十字社の社員の祝賀をも兼ねた。式場に集る人々の胸の上には、赤い織色の綬《きれ》、銀の章《しるし》の輝いたのも面白く見渡される。東の壁のところに、二十余人の寺々の住職、今年にかぎつて蓮華寺一人欠けたのも物足りないとは、流石《さすが》に土地柄も思はれてをかしかつた。殊に風采の人目を引いたのは、高柳利三郎といふ新進政事家、すでに檜舞台《ひのきぶたい》をも踏んで来た男で、今年もまた代議士の候補者に立つといふ。銀之助、文平を始め、男女の教員は一同風琴の側に集つた。
『気をつけ。』
と呼ぶ丑松の凛《りん》とした声が起つた。式は始つたのである。
主座教員としての丑松は反つて校長よりも男女の少年に慕はれて居た。丑松が『最敬礼』の一声は言ふに言はれぬ震動を幼いものゝ胸に伝へるのであつた。軈《やが》て、『君が代』の歌の中に、校長は御影《みえい》を奉開して、それから勅語を朗読した。万歳、万歳と人々の唱へる声は雷《らい》のやうに響き渡る。其日校長の演説は忠孝を題に取つたもので、例の金牌《きんぱい》は胸の上に懸つて、一層《ひとしほ》其風采を教育者らしくして見せた。『天長節』の歌が済む、来賓を代表した高柳の挨拶もあつたが、是はまた場慣れて居る丈《だけ》に手に入つたもの。雄弁を喜ぶのは信州人の特色で、斯ういふ一場の挨拶ですらも、人々の心を酔はせたのである。
平和と喜悦《よろこび》とは式場に満ち溢れた。
閉会の後、高等四年の生徒はかはる/″\丑松に取縋《とりすが》つて、種々《いろ/\》物を尋ねるやら、跳《はね》るやら。あるものは手を引いたり、あるものは袖の下を潜り抜けたりして、戯れて、避《よ》けて行かうとする丑松を放すまいとした。仙太と言つて、三年の生徒で、新平民の少年がある。平素《ふだん》から退《の》け者《もの》にされるのは其生徒。けふも寂しさうに壁に倚凭《よりかゝ》つて、皆《みんな》の歓《よろこ》び戯れる光景《ありさま》を眺め乍ら立つて居た。可愛さうに、仙太は斯《こ》の天長節ですらも、他の少年と同じやうには祝ひ得ないのである。丑松は人知れず口唇《くちびる》を噛み〆《しめ》て、『勇気を出せ、懼《おそ》れるな』と励ますやうに言つて遣りたかつた。丁度他の教師が見て居たので、丑松は遁《に》げる
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