破戒
島崎藤村
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)蓮華寺《れんげじ》では
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)瀬川|丑松《うしまつ》が
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)紫※[#「くさかんむり/宛」、第3水準1−90−92]《しをん》
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)吾儕《われ/\》
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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この書の世に出づるにいたりたるは、函館にある秦慶治氏、及び信濃にある神津猛氏のたまものなり。労作終るの日にあたりて、このものがたりを二人の恩人のまへにさゝぐ。
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第壱章
(一)
蓮華寺《れんげじ》では下宿を兼ねた。瀬川|丑松《うしまつ》が急に転宿《やどがへ》を思ひ立つて、借りることにした部屋といふのは、其|蔵裏《くり》つゞきにある二階の角のところ。寺は信州|下水内郡《しもみのちごほり》飯山町二十何ヶ寺の一つ、真宗に附属する古刹《こせつ》で、丁度其二階の窓に倚凭《よりかゝ》つて眺めると、銀杏《いてふ》の大木を経《へだ》てゝ飯山の町の一部分も見える。さすが信州第一の仏教の地、古代を眼前《めのまへ》に見るやうな小都会、奇異な北国風の屋造《やづくり》、板葺の屋根、または冬期の雪除《ゆきよけ》として使用する特別の軒庇《のきびさし》から、ところ/″\に高く顕《あらは》れた寺院と樹木の梢まで――すべて旧めかしい町の光景《ありさま》が香の烟《けぶり》の中に包まれて見える。たゞ一際《ひときは》目立つて此窓から望まれるものと言へば、現に丑松が奉職して居る其小学校の白く塗つた建築物《たてもの》であつた。
丑松が転宿《やどがへ》を思ひ立つたのは、実は甚だ不快に感ずることが今の下宿に起つたからで、尤《もつと》も賄《まかなひ》でも安くなければ、誰も斯様《こん》な部屋に満足するものは無からう。壁は壁紙で張りつめて、それが煤《すゝ》けて茶色になつて居た。粗造な床の間、紙表具の軸、外には古びた火鉢が置いてあるばかりで、何となく世離れた、静寂《しづか》な僧坊であつた。それがまた小学教師といふ丑松の今の境遇に映つて、妙に佗《わび》しい感想《かんじ》を起させもする。
今の下宿には斯《か》ういふ事が起つた。半月程前、一人の男を供に連れて、下高井の地方から出て来た大日向《おほひなた》といふ大尽《だいじん》、飯山病院へ入院の為とあつて、暫時《しばらく》腰掛に泊つて居たことがある。入院は間もなくであつた。もとより内証はよし、病室は第一等、看護婦の肩に懸つて長い廊下を往つたり来たりするうちには、自然《おのづ》と豪奢《がうしや》が人の目にもついて、誰が嫉妬《しつと》で噂《うはさ》するともなく、『彼《あれ》は穢多《ゑた》だ』といふことになつた。忽ち多くの病室へ伝《つたは》つて、患者は総立《そうだち》。『放逐して了《しま》へ、今直ぐ、それが出来ないとあらば吾儕《われ/\》挙《こぞ》つて御免を蒙る』と腕捲《うでまく》りして院長を脅《おびやか》すといふ騒動。いかに金尽《かねづく》でも、この人種の偏執《へんしふ》には勝たれない。ある日の暮、籠に乗せられて、夕闇の空に紛れて病院を出た。籠は其儘《そのまゝ》もとの下宿へ舁《かつ》ぎ込まれて、院長は毎日のやうに来て診察する。さあ今度は下宿のものが承知しない。丁度丑松が一日の勤務《つとめ》を終つて、疲れて宿へ帰つた時は、一同『主婦《かみさん》を出せ』と喚《わめ》き立てるところ。『不浄だ、不浄だ』の罵詈《ばり》は無遠慮な客の口唇《くちびる》を衝《つ》いて出た。『不浄だとは何だ』と丑松は心に憤つて、蔭ながらあの大日向の不幸《ふしあはせ》を憐んだり、道理《いはれ》のないこの非人扱ひを慨《なげ》いたりして、穢多の種族の悲惨な運命を思ひつゞけた――丑松もまた穢多なのである。
見たところ丑松は純粋な北部の信州人――佐久小県《さくちひさがた》あたりの岩石の間に成長した壮年《わかもの》の一人とは誰の目にも受取れる。正教員といふ格につけられて、学力優等の卒業生として、長野の師範校を出たのは丁度二十二の年齢《とし》の春。社会《よのなか》へ突出される、直に丑松はこの飯山へ来た。それから足掛三年目の今日、丑松はたゞ熱心な青年教師として、飯山の町の人に知られて居るのみで、実際穢多である、新平民であるといふことは、誰一人として知るものが無かつたのである。
『では、いつ引越していらつしやいますか。』
と声をかけて、入つて来たのは蓮華寺の住職の匹偶《つれあひ》。年の頃五十前後。茶色小紋の羽織を着て、痩せた白い手に珠数《ずゝ》を持ち乍《なが》ら、丑松の前に立つた。土地の習慣《ならはし》から『奥様』と尊敬《あが》められて居る斯《こ》の有髪《うはつ》の尼は、昔者として多少教育もあり、都会《みやこ》の生活も万更《まんざら》知らないでも無いらしい口の利き振であつた。世話好きな性質を額にあらはして、微な声で口癖のやうに念仏して、対手《あひて》の返事を待つて居る様子。
其時、丑松も考へた。明日《あす》にも、今夜にも、と言ひたい場合ではあるが、さて差当つて引越しするだけの金が無かつた。実際持合せは四十銭しかなかつた。四十銭で引越しの出来よう筈も無い。今の下宿の払ひもしなければならぬ。月給は明後日《あさつて》でなければ渡らないとすると、否《いや》でも応でも其迄待つより外はなかつた。
『斯うしませう、明後日の午後《ひるすぎ》といふことにしませう。』
『明後日?』と奥様は不思議さうに対手の顔を眺めた。
『明後日引越すのは其様《そんな》に可笑《をかし》いでせうか。』丑松の眼は急に輝いたのである。
『あれ――でも明後日は二十八日ぢやありませんか。別に可笑いといふことは御座《ござい》ませんがね、私はまた月が変つてから来《いら》つしやるかと思ひましてサ。』
『むゝ、これはおほきに左様《さう》でしたなあ。実は私も急に引越しを思ひ立つたものですから。』
と何気なく言消して、丑松は故意《わざ》と話頭《はなし》を変へて了《しま》つた。下宿の出来事は烈しく胸の中を騒がせる。それを聞かれたり、話したりすることは、何となく心に恐しい。何か穢多に関したことになると、毎時《いつ》もそれを避けるやうにするのが是男の癖である。
『なむあみだぶ。』
と口の中で唱へて、奥様は別に深く掘つて聞かうともしなかつた。
(二)
蓮華寺を出たのは五時であつた。学校の日課を終ると、直ぐ其足で出掛けたので、丑松はまだ勤務《つとめ》の儘の服装《みなり》で居る。白墨と塵埃《ほこり》とで汚れた着古しの洋服、書物やら手帳やらの風呂敷包を小脇に抱へて、それに下駄穿《げたばき》、腰弁当。多くの労働者が人中で感ずるやうな羞恥《はぢ》――そんな思を胸に浮べ乍ら、鷹匠《たかしやう》町の下宿の方へ帰つて行つた。町々の軒は秋雨あがりの後の夕日に輝いて、人々が濡れた道路に群つて居た。中には立ちとゞまつて丑松の通るところを眺めるもあり、何かひそひそ立話をして居るのもある。『彼処《あそこ》へ行くのは、ありやあ何だ――むゝ、教員か』と言つたやうな顔付をして、酷《はなはだ》しい軽蔑《けいべつ》の色を顕《あらは》して居るのもあつた。是が自分等の預つて居る生徒の父兄であるかと考へると、浅猿《あさま》しくもあり、腹立たしくもあり、遽《にはか》に不愉快になつてすたすた歩き初めた。
本町の雑誌屋は近頃出来た店。其前には新着の書物を筆太に書いて、人目を引くやうに張出してあつた。かねて新聞の広告で見て、出版の日を楽みにして居た『懴悔録』――肩に猪子《ゐのこ》蓮太郎氏著、定価までも書添へた広告が目につく。立ちどまつて、其人の名を思出してさへ、丑松はもう胸の踊るやうな心地《こゝち》がしたのである。見れば二三の青年が店頭《みせさき》に立つて、何か新しい雑誌でも猟《あさ》つて居るらしい。丑松は色の褪《あ》せたズボンの袖嚢《かくし》の内へ手を突込んで、人知れず銀貨を鳴らして見ながら、幾度か其雑誌屋の前を往つたり来たりした。兎《と》に角《かく》、四十銭あれば本が手に入る。しかし其を今|茲《こゝ》で買つて了へば、明日は一文無しで暮さなければならぬ。転宿《やどがへ》の用意もしなければならぬ。斯ういふ思想《かんがへ》に制せられて、一旦は往きかけて見たやうなものゝ、やがて、復《ま》た引返した。ぬつと暖簾《のれん》を潜つて入つて、手に取つて見ると――それはすこし臭気《にほひ》のするやうな、粗悪な洋紙に印刷した、黄色い表紙に『懴悔録』としてある本。貧しい人の手にも触れさせたいといふ趣意から、わざと質素な体裁を択《えら》んだのは、是書《このほん》の性質をよく表して居る。あゝ、多くの青年が読んで知るといふ今の世の中に、飽くことを知らない丑松のやうな年頃で、どうして読まず知らずに居ることが出来よう。智識は一種の饑渇《ひもじさ》である。到頭四十銭を取出して、欲《ほし》いと思ふ其本を買求めた。なけなしの金とはいひ乍《なが》ら、精神《こゝろ》の慾には替へられなかつたのである。
『懴悔録』を抱いて――買つて反つて丑松は気の衰頽《おとろへ》を感じ乍ら、下宿をさして帰つて行くと、不図《ふと》、途中で学校の仲間に出逢《であ》つた。一人は土屋銀之助と言つて、師範校時代からの同窓の友。一人は未《ま》だ極《ご》く年若な、此頃準教員に成つたばかりの男。散歩とは二人のぶら/\やつて来る様子でも知れた。
『瀬川君、大層遅いぢやないか。』
と銀之助は洋杖《ステッキ》を鳴し乍ら近《ちかづ》いた。
正直で、しかも友達思ひの銀之助は、直に丑松の顔色を見て取つた。深く澄んだ目付は以前の快活な色を失つて、言ふに言はれぬ不安の光を帯びて居たのである。『あゝ、必定《きつと》身体《からだ》の具合でも悪いのだらう』と銀之助は心に考へて、丑松から下宿を探しに行つた話を聞いた。
『下宿を? 君はよく下宿を取替へる人だねえ――此頃《こなひだ》あそこの家《うち》へ引越したばかりぢやないか。』
と毒の無い調子で、さも心《しん》から出たやうに笑つた。其時丑松の持つて居る本が目についたので、銀之助は洋杖を小脇に挾んで、見せろといふ言葉と一緒に右の手を差出した。
『是かね。』と丑松は微笑《ほゝゑ》みながら出して見せる。
『むゝ、「懴悔録」か。』と準教員も銀之助の傍に倚添《よりそ》ひながら眺めた。
『相変らず君は猪子先生のものが好きだ。』斯う銀之助は言つて、黄色い本の表紙を眺めたり、一寸|内部《なか》を開けて見たりして、『さう/\新聞の広告にもあつたツけ――へえ、斯様《こん》な本かい――斯様な質素な本かい。まあ君のは愛読を通り越して崇拝の方だ。はゝゝゝゝ、よく君の話には猪子先生が出るからねえ。嘸《さぞ》かしまた聞かせられることだらうなあ。』
『馬鹿言ひたまへ。』
と丑松も笑つて其本を受取つた。
夕靄《ゆふもや》の群は低く集つて来て、あそこでも、こゝでも、最早《もう》ちら/\灯《あかり》が点《つ》く。丑松は明後日あたり蓮華寺へ引越すといふ話をして、この友達と別れたが、やがて少許《すこし》行つて振返つて見ると、銀之助は往来の片隅に佇立《たゝず》んだ儘《まゝ》、熟《じつ》と是方《こちら》を見送つて居た。半町ばかり行つて復た振返つて見ると、未だ友達は同じところに佇立んで居るらしい。夕餐《ゆふげ》の煙は町の空を籠めて、悄然《しよんぼり》とした友達の姿も黄昏《たそが》れて見えたのである。
(三)
鷹匠町の下宿近く来た頃には、鉦《かね》の声が遠近《をちこち》の空に響き渡つた。寺々の宵の勤行《おつとめ》は始まつたのであらう。丁度下宿の前まで来ると、あたりを警《いまし》める人足の声も聞えて、提灯《ちやうちん》の光に宵闇の道を照
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