》して居たのだ。其為に一時《いつとき》も自分を忘れることが出来なかつたのだ。思へば今迄の生涯は虚偽《いつはり》の生涯であつた。自分で自分を欺《あざむ》いて居た。あゝ――何を思ひ、何を煩ふ。『我は穢多なり』と男らしく社会に告白するが好いではないか。斯う蓮太郎の死が丑松に教へたのである。
紅《あか》く泣腫《なきはら》した顔を提げて、やがて扇屋へ帰つて見ると、奥の座敷には種々《さま/″\》な人が集つて後の事を語り合つて居た。座敷の床の間へ寄せ、北を枕にして、蓮太郎の死体の上には旅行用の茶色の膝懸《ひざかけ》をかけ、顔は白い※[#「巾+白」、第4水準2−8−83]布《ハンケチ》で掩《おほ》ふてあつた。亭主の計らひと見えて、其前に小机を置き、土器《かはらけ》の類《たぐひ》も新しいのが載せてある。線香の煙に交る室内の夜の空気の中に、蝋燭《らふそく》の燃《とぼ》るのを見るも悲しかつた。
警察署へ行つた弁護士も帰つて来て、蓮太郎のことを丑松に話した。上田の停車場《ステーション》で別れてから以来《このかた》、小諸《こもろ》、岩村田、志賀、野沢、臼田、其他到るところに蓮太郎が精《くは》しい社会研究を発表したこと、それから長野へ行き斯の飯山へ来る迄の元気の熾盛《さかん》であつたことなぞを話した。『実に我輩も意外だつたね。』と弁護士は思出したやうに、『一緒に斯処《こゝ》の家《うち》を出て法福寺へ行く迄も、彼様《あん》な烈しいことを行《や》らうとは夢にも思はなかつた。毎時《いつも》演説の前には内容《なかみ》の話が出て、斯様《かう》言ふ積りだとか、彼様《あゝ》話す積りだとか、克《よ》く飯をやり乍ら其を我輩に聞かせたものさ。ところが、君、今夜に限つては其様《そん》な話が出なかつたからねえ。』と言つて、嘆息して、『あゝ、不親切な男だと、君始め――まあ奈何《どん》な人でも、我輩のことを左様思ふだらう。思はれても仕方無い。全く我輩が不親切だつた。猪子君が何と言はうと、細君と一緒に東京へ返しさへすれば斯様《こん》なことは無かつた。御承知の通り、猪子君も彼様《あゝ》いふ弱い身体だから、始め一緒に信州を歩くと言出した時に、何《ど》の位《くらゐ》我輩が止めたか知れない。其時猪子君の言ふには、「僕は僕だけの量見があつて行くのだから、決して止めて呉れ給ふな。君は僕を使役《つか》ふと見てもよし、僕はまた君から助けられると見られても可《いゝ》――兎《と》に角《かく》、君は君で働き、僕は僕で働くのだ。」斯ういふものだから、其程熱心に成つて居るものを強ひて廃《よ》し給へとも言はれんし、折角の厚意を無にしたくないと思つて、それで一緒に歩いたやうな訳さ。今になつて見ると、噫《あゝ》、あの細君に合せる顔が無い。「奥様《おくさん》、其様に御心配なく、猪子君は確かに御預りしましたから」なんて――まあ我輩は奈何《どう》して御詑《おわび》をして可《いゝ》か解らん。』
斯う言つて、萎《しを》れて、肥大な弁護士は洋服の儘《まゝ》でかしこまつて居た。其時は最早《もう》この扇屋に泊る旅人も皆な寝て了つて、たゞさへ気の遠くなるやうな冬の夜が一層《ひとしほ》の寂しさを増して来た。日頃新平民と言へば、直に顔を皺《しか》めるやうな手合にすら、蓮太郎ばかりは痛み惜まれたので、殊に其悲惨な最後が深い同情の念を起させた。『警察だつても黙つて置くもんぢや無い。見給へ、きつと最早《もう》高柳の方へ手が廻つて居るから。』と人々は互に言合ふのであつた。
見れば見るほど、聞けば聞くほど、丑松は死んだ先輩に手を引かれて、新しい世界の方へ連れて行かれるやうな心地がした。告白――それは同じ新平民の先輩にすら躊躇《ちうちよ》したことで、まして社会の人に自分の素性を暴露《さらけだ》さうなぞとは、今日迄《こんにちまで》思ひもよらなかつた思想《かんがへ》なのである。急に丑松は新しい勇気を掴《つか》んだ。どうせ最早今迄の自分は死んだものだ。恋も捨てた、名も捨てた――あゝ、多くの青年が寝食を忘れる程にあこがれて居る現世の歓楽、それも穢多の身には何の用が有らう。一新平民――先輩が其だ――自分も亦た其で沢山だ。斯う考へると同時に、熱い涙は若々しい頬を伝つて絶間《とめど》も無く流れ落ちる。実にそれは自分で自分を憐むといふ心から出た生命《いのち》の汗であつたのである。
いよ/\明日は、学校へ行つて告白《うちあ》けよう。教員仲間にも、生徒にも、話さう。左様だ、其を為るにしても、後々までの笑草なぞには成らないやうに。成るべく他《ひと》に迷惑を掛けないやうに。斯う決心して、生徒に言つて聞かせる言葉、進退伺に書いて出す文句、其他|種々《いろ/\》なことまでも想像して、一夜を人々と一緒に蓮太郎の遺骸《なきがら》の前で過したのであつた。彼是《かれこれ》するうちに、鶏が鳴いた。丑松は新しい暁の近いたことを知つた。
第弐拾壱章
(一)
学校へ行く準備《したく》をする為に、朝早く丑松は蓮華寺へ帰つた。庄馬鹿を始め、子坊主迄、談話《はなし》は蓮太郎の最後、高柳の拘引《こういん》の噂《うはさ》なぞで持切つて居た。昨日の朝丑松の留守へ尋ねて来た客が亡《な》くなつた其人である、と聞いた時は、猶々《なほ/\》一同驚き呆《あき》れた。丑松はまた奥様から、妹が長野の方へ帰るやうに成つたこと、住職が手を突いて詑入《わびい》つたこと、それから夫婦別れの話も――まあ、見合せにしたといふことを聞取つた。
『なむあみだぶ。』
と奥様は珠数《ずゝ》を爪繰《つまぐ》り乍ら唱《とな》へて居た。
丁度十二月|朔日《ついたち》のことで、いつも寺では早く朝飯《あさはん》を済《すま》すところからして、丑松の部屋へも袈裟治が膳を運んで来た。斯《か》うして寺の人と同じやうに早く食ふといふことは、近頃無いためし――朝は必ず生温《なまあたゝか》い飯に、煮詰つた汁と極《きま》つて居たのが、其日にかぎつては、飯も焚きたての気《いき》の立つやつで、汁は又、煮立つたばかりの赤味噌のにほひが甘《うま》さうに鼻の端《さき》へ来るのであつた。小皿には好物の納豆も附いた。其時丑松は膳に向ひ乍ら、兎《と》も角《かく》も斯うして生きながらへ来た今日迄《こんにちまで》を不思議に難有《ありがた》く考へた。あゝ、卑賤《いや》しい穢多の子の身であると覚期すれば、飯を食ふにも我知らず涙が零《こぼ》れたのである。
朝飯の後、丑松は机に向つて進退伺を書いた。其時一生の戒を思出した。あの父の言葉を思出した。『たとへいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅《めぐりあ》はうと、決して其とは自白《うちあ》けるな、一旦の憤怒《いかり》悲哀《かなしみ》に是戒《このいましめ》を忘れたら、其時こそ社会《よのなか》から捨てられたものと思へ。』斯う父は教へたのであつた。『隠せ』――其を守る為には今日迄|何程《どれほど》の苦心を重ねたらう。『忘れるな』――其を繰返す度に何程の猜疑《うたがひ》と恐怖《おそれ》とを抱いたらう。もし父が斯《こ》の世に生きながらへて居たら、まあ気でも狂つたかのやうに自分の思想《かんがへ》の変つたことを憤り悲むであらうか、と想像して見た。仮令《たとひ》誰が何と言はうと、今はその戒を破り棄てる気で居る。
『阿爺《おとつ》さん、堪忍《かんにん》して下さい。』
と詑入るやうに繰返した。
冬の朝日が射して来た。丑松は机を離れて窓の方へ行つた。障子《しやうじ》を開けて眺めると、例の銀杏《いてふ》の枯々《かれ/″\》な梢《こずゑ》を経《へだ》てゝ、雪に包まれた町々の光景《ありさま》が見渡される。板葺《いたぶき》の屋根、軒廂《のきびさし》、すべて目に入るかぎりのものは白く埋れて了つて、家と家との間からは青々とした朝餐《あさげ》の煙が静かに立登つた。小学校の建築物《たてもの》も、今、日をうけた。名残惜《なごりを》しいやうな気に成つて、冷《つめた》く心地《こゝろもち》の好い朝の空気を呼吸し乍ら、やゝしばらく眺め入つて居たが、不図胸に浮んだは蓮太郎の『懴悔録』、開巻第一章、『我は穢多なり』と書起してあつたのを今更のやうに新しく感じて、丁度この町の人々に告白するやうに、其文句を窓のところで繰返した。
『我は穢多なり。』
ともう一度繰返して、それから丑松は学校へ行く準備《したく》にとりかゝつた。
(二)
破戒――何といふ悲しい、壮《いさま》しい思想《かんがへ》だらう。斯《か》う思ひ乍ら、丑松は蓮華寺の山門を出た。とある町の角のところまで歩いて行くと、向ふの方から巡査に引かれて来る四五人の男に出逢《であ》つた。いづれも腰繩を附けられ、蒼《あを》ざめた顔付して、人目を憚《はゞか》り乍ら悄々《しを/\》と通る。中に一人、黒の紋付羽織、白足袋|穿《ばき》、顔こそ隠して見せないが、当世風の紳士姿は直に高柳利三郎と知れた。克《よ》く見ると、一緒に引かれて行く怪しげな風体の人々は、高柳の為に使役《つか》はれた壮士らしい。流石に心は後へ残るといふ風で、時々立留つては振返つて見る度に、巡査から注意をうけるやうな手合もあつた。『あゝ、捕つて行くナ。』と丑松の傍に立つて眺めた一人が言つた。『自業自得さ。』とまた他の一人が言つた。見る/\高柳の一行は巡査の言ふなりに町の角を折れて、軈《やが》て雪山の影に隠れて了つた。
男女の少年は今、小学校を指して急ぐのであつた。近在から通ふ児童《こども》なぞは、絨《フランネル》の布片《きれ》で頭を包んだり、肩掛を冠つたりして、声を揚げ乍ら雪の中を飛んで行く。町の児童《こども》は又、思ひ/\に誘ひ合せて、後になり前になり群を成して行つた。斯《か》うして邪気《あどけ》ない生徒等と一緒に、通《かよ》ひ忸《な》れた道路を歩くといふのも、最早今日限りであるかと考へると、目に触れるものは総《すべ》て丑松の心に哀《かな》し可懐《なつか》しい感想《かんじ》を起させる。平素《ふだん》は煩《うるさ》いと思ふやうな女の児の喋舌《おしやべり》まで、其朝にかぎつては、可懐しかつた。色の褪《さ》めた海老茶袴《えびちやばかま》を眺めてすら、直に名残惜しさが湧上つたのである。
学校の運動場には雪が山のやうに積上げてあつた。木馬や鉄棒《かなぼう》は深く埋没《うづも》れて了《しま》つて、屋外《そと》の運動も自由には出来かねるところからして、生徒はたゞ学校の内部《なか》で遊んだ。玄関も、廊下も、広い体操場も、楽しさうな叫び声で満ち溢《あふ》れて居た。授業の始まる迄《まで》、丑松は最後の監督を為る積りで、あちこち/\と廻つて歩くと、彼処《あそこ》でも瀬川先生、此処《こゝ》でも瀬川先生――まあ、生徒の附纏《つきまと》ふのは可愛らしいもので、飛んだり跳《は》ねたりする騒がしさも名残と思へば寧《いつ》そいぢらしかつた。廊下のところに立つた二三の女教師、互にじろ/\是方《こちら》を見て、目と目で話したり、くす/\笑つたりして居たが、別に丑松は気にも留めないのであつた。其朝は三年生の仙太も早く出て来て体操場の隅に悄然《しよんぼり》として居る。他の生徒を羨ましさうに眺め佇立《たゝず》んで居るのを見ると、不相変《あひかはらず》誰も相手にするものは無いらしい。丑松は仙太を背後《うしろ》から抱〆《だきしめ》て、誰が見ようと笑はうと其様《そん》なことに頓着なく、自然《おのづ》と外部《そと》に表れる深い哀憐《あはれみ》の情緒《こゝろ》を寄せたのである。この不幸な少年も矢張自分と同じ星の下に生れたことを思ひ浮べた。いつぞやこの少年と一緒に庭球《テニス》の遊戯《あそび》をして敗けたことを思ひ浮べた。丁度それは天長節の午後、敬之進を送る茶話会の後であつたことなどを思ひ浮べた、不図、廊下の向ふの方で、尋常一年あたりの女の生徒であらう、揃つて歌ふ無邪気な声が起つた。
[#ここから2字下げ]
『桃から生れた桃太郎、
気はやさしくて、力もち――』
[#ここで字下げ終わり]
その唱歌を聞くと同時に、思はず涙は丑松の顔を流れた。
大鈴の音が
前へ
次へ
全49ページ中43ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング