\》な迷惑を掛けるやうでは、義理ある両親に申訳が無い。聞けば奥様は離縁の決心とやら、何卒《どうか》其丈《それだけ》は思ひとまつて呉れるやうに。十三の年から今日迄《こんにちまで》受けた恩愛は一生忘れまい。何時までも自分は奥様の傍に居て親と呼び子と呼ばれたい心は山々。何事も因縁《いんねん》づくと思ひ諦《あきら》めて呉れ、許して呉れ――『母上様へ、志保より』と書いてあつた、とのこと。
『尤も――』と奥様は襦袢《じゆばん》の袖口で※[#「目+匡」、第3水準1−88−81]《まぶた》を押拭ひ乍ら言つた。『若いものゝことですから、奈何《どん》な不量見を起すまいものでもない、と思ひましてね、昨夜一晩中私は眠りませんでしたよ。今朝早く人を見させに遣《や》りました。まあ、父親《おとつ》さんの方へ帰つて居るらしい、と言ひますから――』斯《か》う言つて、気を変へて、『長野の妹も直に出掛けて来て呉れましたよ。来て見ると、斯|光景《ありさま》でせう。どんなに妹も吃驚《びつくり》しましたか知れません。』奥様はもう啜上《すゝりあ》げて、不幸な娘の身の上を憐むのであつた。
可愛さうに、住慣《すみな》れたところを捨て、義理ある人々を捨て、雪を踏んで逃げて行く時の其|心地《こゝろもち》は奈何《どんな》であつたらう。丑松は奥様の談話《はなし》を聞いて、斯の寺を脱けて出ようと決心する迄のお志保の苦痛《くるしみ》悲哀《かなしみ》を思ひやつた。
『あゝ――和尚さんだつても眼が覚めましたらうよ、今度といふ今度こそは。』と昔気質《むかしかたぎ》な奥様は独語のやうに言つた。
『なむあみだぶ。』と口の中で繰返し乍ら奥様が出て行つた後、やゝしばらく丑松は古壁に倚凭《よりかゝ》つて居た。哀憐《あはれみ》と同情《おもひやり》とは眼に見ない事実《ことがら》を深い『生』の絵のやうに活して見せる。幾度か丑松はお志保の有様を――斯《こ》の寺の方を見かへり/\急いで行く其有様を胸に描いて見た。あの釣と昼寝と酒より外には働く気のない老朽な父親、泣く喧嘩《けんくわ》する多くの子供、就中《わけても》継母――まあ、あの家へ帰つて行つたとしたところで、果して是《これ》から将来《さき》奈何《どう》なるだらう。『あゝ、お志保さんは死ぬかも知れない。』と不図昨夕と同じやうなことを思ひついた時は、言ふに言はれぬ悲しい心地《こゝろもち》になつた。
急に丑松は壁を離れた。帽子を冠り、楼梯《はしごだん》を下り、蔵裏の廊下を通り抜けて、何か用事ありげに蓮華寺の門を出た。
(六)
『自分は一体何処へ行く積りなんだらう。』と丑松は二三町も歩いて来たかと思はれる頃、自分で自分に尋ねて見た。絶望と恐怖とに手を引かれて、目的《めあて》も無しに雪道を彷徨《さまよ》つて行つた時は、半ば夢の心地であつた。往来には町の人々が群り集つて、春迄も消えずにある大雪の仕末で多忙《いそが》しさう。板葺《いたぶき》の屋根の上に降積つたのが掻下《かきおろ》される度に、それがまた恐しい音して、往来の方へ崩れ落ちる。幾度か丑松は其音の為に驚かされた。そればかりでは無い、四五人集つて何か話して居るのを見ると、直に其を自分のことに取つて、疑はず怪まずには居られなかつたのである。
とある町の角のところ、塩物売る店の横手にあたつて、貼付《はりつ》けてある広告が目についた。大幅な洋紙に墨黒々と書いて、赤い『インキ』で二重に丸なぞが付けてある。其下に立つて物見高く眺めて居る人々もあつた。思はず丑松も立留つた。見ると、市村弁護士の政見を発表する会で、蓮太郎の名前も演題も一緒に書並べてあつた。会場は上町の法福寺、其日午後六時から開会するとある。
して見ると、丁度演説会は家々の夕飯が済む頃から始まるのだ。
丑松は其広告を読んだばかりで、軈てまた前と同じ方角を指して歩いて行つた。疑心暗鬼とやら。今は其を明《あかる》い日光《ひかり》の中に経験する。種々《いろ/\》な恐しい顔、嘲り笑ふ声――およそ人種の憎悪《にくしみ》といふことを表したものは、右からも、左からも、丑松の身を囲繞《とりま》いた。意地の悪い烏は可厭《いや》に軽蔑《けいべつ》したやうな声を出して、得たり賢しと頭の上を啼《な》いて通る。あゝ、鳥ですら斯雪の上に倒れる人を待つのであらう。斯う考へると、浅猿《あさま》しく悲しく成つて、すた/\肴町《さかなまち》の通りを急いだ。
何時の間にか丑松は千曲川《ちくまがは》の畔《ほとり》へ出て来た。そこは『下《しも》の渡し』と言つて、水に添ふ一帯の河原を下瞰《みおろ》すやうな位置にある。渡しとは言ひ乍ら、船橋で、下高井の地方へと交通するところ。一筋暗い色に見える雪の中の道には旅人の群が往つたり来たりして居た。荷を積けた橇《そり》も曳かれて通る。遠くつゞく河原《かはら》は一面の白い大海を見るやうで、蘆荻《ろてき》も、楊柳も、すべて深く隠れて了《しま》つた。高社、風原、中の沢、其他越後境へ連る多くの山々は言ふも更なり、対岸にある村落と杜《もり》の梢《こずゑ》とすら雪に埋没《うづも》れて、幽《かすか》に鶏の鳴きかはす声が聞える。千曲川は寂しく其間を流れるのであつた。
斯ういふ光景《ありさま》は今丑松の眼前《めのまへ》に展《ひら》けた。平素《ふだん》は其程注意を引かないやうな物まで一々の印象が強く審《くは》しく眼に映つて見えたり、あるときは又、物の輪郭《かたち》すら朦朧《もうろう》として何もかも同じやうにぐら/\動いて見えたりする。『自分は是《これ》から将来《さき》奈何《どう》しよう――何処へ行つて、何を為よう――一体自分は何の為に是世《このよ》の中へ生れて来たんだらう。』思ひ乱れるばかりで、何の結末《まとまり》もつかなかつた。長いこと丑松は千曲川の水を眺め佇立《たゝず》んで居た。
(七)
一生のことを思ひ煩《わづら》ひ乍《なが》ら、丑松は船橋の方へ下りて行つた。誰か斯う背後《うしろ》から追ひ迫つて来るやうな心地《こゝろもち》がして――無論|其様《そん》なことの有るべき筈が無い、と承知して居乍ら――それで矢張安心が出来なかつた。幾度か丑松は背後を振返つて見た。時とすると、妙な眩暈心地《めまひごゝち》に成つて、ふら/\と雪の中へ倒れ懸りさうになる。『あゝ、馬鹿、馬鹿――もつと毅然《しつかり》しないか。』とは自分で自分を叱り※[#「厂+萬」、第3水準1−14−84]《はげま》す言葉であつた。河原の砂の上を降り埋めた雪の小山を上つたり下りたりして、軈《やが》て船橋の畔へ出ると、白い両岸の光景《ありさま》が一層|広濶《ひろ/″\》と見渡される。目に入るものは何もかも――そここゝに低く舞ふ餓《う》ゑた烏の群、丁度川舟のよそほひに忙しさうな船頭、又は石油のいれものを提げて村を指して帰つて行く農夫の群、いづれ冬期の生活《なりはひ》の苦痛《くるしみ》を感ぜさせるやうな光景《ありさま》ばかり。河の水は暗緑の色に濁つて、嘲《あざけ》りつぶやいて、溺《おぼ》れて死ねと言はぬばかりの勢を示し乍ら、川上の方から矢のやうに早く流れて来た。
深く考へれば考へるほど、丑松の心は暗くなるばかりで有つた。斯《この》社会から捨てられるといふことは、いかに言つても情ない。あゝ放逐――何といふ一生の恥辱《はづかしさ》であらう。もしも左様なつたら、奈何《どう》して是《これ》から将来《さき》生計《くらし》が立つ。何を食つて、何を飲まう。自分はまだ青年だ。望もある、願ひもある、野心もある。あゝ、あゝ、捨てられたくない、非人あつかひにはされたくない、何時迄も世間の人と同じやうにして生きたい――斯う考へて、同族の受けた種々《さま/″\》の悲しい恥、世にある不道理な習慣、『番太』といふ乞食の階級よりも一層《もつと》劣等な人種のやうに卑《いやし》められた今日迄《こんにちまで》の穢多の歴史を繰返した。丑松はまた見たり聞いたりした事実を数へて、あるひは追はれたりあるひは自分で隠れたりした人々、父や、叔父や、先輩や、それから彼の下高井の大尽の心地《こゝろもち》を身に引比べ、終《しまひ》には娼婦《あそびめ》として秘密に売買されるといふ多くの美しい穢多の娘の運命なぞを思ひやつた。
其時に成つて、丑松は後悔した。何故、自分は学問して、正しいこと自由なことを慕ふやうな、其様《そん》な思想《かんがへ》を持つたのだらう。同じ人間だといふことを知らなかつたなら、甘んじて世の軽蔑を受けても居られたらうものを。何故《なぜ》、自分は人らしいものに斯世の中へ生れて来たのだらう。野山を駆け歩く獣の仲間ででもあつたなら、一生何の苦痛《くるしみ》も知らずに過されたらうものを。
歓《うれ》し哀《かな》しい過去の追憶《おもひで》は丑松の胸の中に浮んで来た。この飯山へ赴任して以来《このかた》のことが浮んで来た。師範校時代のことが浮んで来た。故郷《ふるさと》に居た頃のことが浮んで来た。それはもう悉皆《すつかり》忘れて居て、何年も思出した先蹤《ためし》の無いやうなことまで、つい昨日の出来事のやうに、青々と浮んで来た。今は丑松も自分で自分を憐まずには居られなかつたのである。軈《やが》て、斯ういふ過去の追憶《おもひで》がごちや/\胸の中で一緒に成つて、煙のやうに乱れて消えて了《しま》ふと、唯二つしか是から将来《さき》に執るべき道は無いといふ思想《かんがへ》に落ちて行つた。唯二つ――放逐か、死か。到底丑松は放逐されて生きて居る気は無かつた。其よりは寧《むし》ろ後者《あと》の方を択《えら》んだのである。
短い冬の日は何時の間にか暮れかゝつて来た。もう二度と現世《このよ》で見ることは出来ないかのやうな、悲壮な心地に成つて、橋の上から遠く眺《なが》めると、西の空すこし南寄りに一帯の冬雲が浮んで、丁度|可懐《なつか》しい故郷の丘を望むやうに思はせる。其は深い焦茶《こげちや》色で、雲端《くもべり》ばかり黄に光り輝くのであつた。帯のやうな水蒸気の群も幾条《いくすぢ》か其上に懸つた。あゝ、日没だ。蕭条《せうでう》とした両岸の風物はすべて斯《こ》の夕暮の照光《ひかり》と空気とに包まれて了つた。奈何《どんな》に丑松は『死』の恐しさを考へ乍ら、動揺する船橋の板縁《いたべり》近く歩いて行つたらう。
蓮華寺で撞《つ》く鐘の音は其時丑松の耳に無限の悲しい思を伝へた。次第に千曲川の水も暮れて、空に浮ぶ冬雲の焦茶色が灰がゝつた紫色に変つた頃は、もう日も遠く沈んだのである。高く懸る水蒸気の群は、ぱつと薄赤い反射を見せて、急に掻消《かきけ》すやうに暗く成つて了つた。
第弐拾章
(一)
せめて彼の先輩だけに自分のことを話さう、と不図《ふと》、丑松が思ひ着いたのは、其橋の上である。
『噫《あゝ》、それが最後の別離《おわかれ》だ。』
とまた自分で自分を憐むやうに叫んだ。
斯ういふ思想《かんがへ》を抱いて、軈《やが》て以前《もと》来た道の方へ引返して行つた頃は、閏《うるふ》六日ばかりの夕月が黄昏《たそがれ》の空に懸つた。尤も、丑松は直に其足で蓮太郎の宿屋へ尋ねて行かうとはしなかつた。間も無く演説会の始まることを承知して居た。左様だ、其の済むまで待つより外は無いと考へた。
上の渡し近くに在る一軒の饂飩屋《うどんや》は別に気の置けるやうな人も来ないところ。丁度其前を通りかゝると、軒を泄《も》れる夕餐《ゆふげ》の煙に交つて、何か甘《うま》さうな物のにほひが屋《うち》の外迄も満ち溢《あふ》れて居た。見れば炉《ろ》の火も赤々と燃え上る。思はず丑松は立留つた。其時は最早《もう》酷《ひど》く饑渇《ひもじさ》を感じて居たので、わざ/\蓮華寺迄帰るといふ気は無かつた。ついと軒を潜つて入ると、炉辺《ろばた》には四五人の船頭、まだ他に飲食《のみくひ》して居る橇曳《そりひき》らしい男もあつた。時を待つ丑松の身に取つては、飲みたく無い迄も酒を誂《あつら》へる必要があつたので、ほんの申訳ばかりにお調子一本、饂飩はかけにして極《ごく》熱いところを、斯
前へ
次へ
全49ページ中41ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング