其を思ふと、私はもう働く気も何も無くなつて了《しま》ふ。加之《おまけ》に、子供は多勢で、与太《よた》(頑愚)なものばかり揃つて居て――』
『まあ、左様《さう》仰《おつしや》らないで、私《わし》に任せなされ――悪いやうには為《し》ねえからせえて。』と音作は真心籠めて言慰《いひなぐさ》めた。
細君は襦袢《じゆばん》の袖口で※[#「目+匡」、第3水準1−88−81]《まぶち》を押拭ひ乍ら、勝手元の方へ行つて食物《くひもの》の準備《したく》を始める。音作の弟は酒を買つて帰つて来る。大丼が出たり、小皿が出たりするところを見ると、何が無くとも有合《ありあはせ》のもので一杯出して、地主に飲んで貰ふといふ積りらしい。思へば小作人の心根《こゝろね》も可傷《あはれ》なものである。万事は音作のはからひ、酒の肴《さかな》には蒟蒻《こんにやく》と油揚《あぶらげ》の煮付、それに漬物を添へて出す位なもの。軈《やが》て音作は盃《さかづき》を薦《すゝ》めて、
『冷《れい》ですよ、燗《かん》ではごはせんよ――地親《ぢやうや》さんは是方《こつち》でいらつしやるから。』
と言はれて、始めて地主は微笑《ほゝゑみ》を泄《もら》したのである。
其時まで、丑松は細君に話したいと思ふことがあつて、其を言ふ機会も無く躊躇《ちうちよ》して居たのであるが、斯うして酒が始つて見ると、何時《いつ》是地主が帰つて行くか解らない。御相伴《おしやうばん》に一つ、と差される盃を辞退して、ついと炉辺を離れた。表の入口のところへ省吾を呼んで、物の蔭に佇立《たゝず》み乍ら、袂から取出したのは例の紙の袋に入れた金である。丑松は斯う言つた。後刻《あと》で斯の金を敬之進に渡して呉れ。それから家の事情で退校させるといふ敬之進の話もあつたが、月謝や何かは斯中《このなか》から出して、是非今迄通りに学校へ通はせて貰ふやうに。『いゝかい、君、解つたかい。』と添加《つけた》して、それを省吾の手に握らせるのであつた。
『まあ、君は何といふ冷い手をしてゐるだらう。』
斯う言ひ乍ら、丑松は少年の手を堅く握り締めた。熟《じつ》と其の邪気《あどけ》ない顔付を眺めた時は、あのお志保の涙に霑《ぬ》れた清《すゞ》しい眸《ひとみ》を思出さずに居られなかつたのである。
(五)
敬之進の家を出て帰つて行く道すがら、すくなくも丑松はお志保の為に尽したことを考へて、自分で自分を慰めた。蓮華寺の山門に近《ちかづ》いた頃は、灰色の雲が低く垂下つて来て、復《ま》た雪になるらしい空模様であつた。蒼然《さうぜん》とした暮色は、たゞさへ暗い丑松の心に、一層の寂しさ味気なさを添へる。僅かに天の一方にあたつて、遠く深く紅《くれなゐ》を流したやうなは、沈んで行く夕日の反射したのであらう。
宵の勤行《おつとめ》の鉦《かね》の音は一種異様な響を丑松の耳に伝へるやうに成つた。それは最早《もう》世離れた精舎《しやうじや》の声のやうにも聞えなかつた。今は梵音《ぼんおん》の難有味《ありがたさ》も消えて、唯同じ人間世界の情慾の声、といふ感想《かんじ》しか耳の底に残らない。丑松は彼の敬之進の物語を思ひ浮べた。住職を卑しむ心は、卑しむといふよりは怖れる心が、胸を衝《つ》いて湧上つて来る。しかしお志保は其程|香《か》のある花だ、其程人を※[#「女+無」、第4水準2−5−80]《ひきつ》ける女らしいところが有るのだ、と斯う一方から考へて見て、いよ/\其人を憐むといふ心地《こゝろもち》に成つたのである。
蓮華寺の内部《なか》の光景《ありさま》――今は丑松も明に其真相を読むことが出来た。成程《なるほど》、左様言はれて見ると、それとない物の端《はし》にも可傷《いたま》しい事実は顕れて居る。左様《さう》言はれて見ると、始めて丑松が斯の寺へ引越して来た時のやうな家庭の温味《あたゝかさ》は何時の間にか無くなつて了つた。
二階へ通ふ廊下のところで、丑松はお志保に逢《あ》つた。蒼《あを》ざめて死んだやうな女の顔付と、悲哀《かなしみ》の溢《あふ》れた黒眸《くろひとみ》とは――たとひ黄昏時《たそがれどき》の仄《ほの》かな光のなかにも――直に丑松の眼に映る。お志保も亦《ま》た不思議さうに丑松の顔を眺めて、丁度|喪心《さうしん》した人のやうな男の様子を注意して見るらしい。二人は眼と眼を見交したばかりで、黙つて会釈《ゑしやく》して別れたのである。
自分の部屋へ入つて見ると、最早そこいらは薄暗かつた。しかし丑松は洋燈《ランプ》を点けようとも為なかつた。長いこと茫然として、独りで暗い部屋の内に座《すわ》つて居た。
(六)
『瀬川さん、御勉強ですか。』
と声を掛けて、奥様が入つて来たのは、それから二時間ばかり経《た》つてのこと。丑松の机の上には、日々《にち/\》の思想《かんがへ》を記入《かきい》れる仮綴の教案簿なぞが置いてある。黄ばんだ洋燈《ランプ》の光は夜の空気を寂《さみ》しさうに照して、思ひ沈んで居る丑松の影を古い壁の方へ投げた。煙草《たばこ》のけむりも薄く籠《こも》つて、斯《こ》の部屋の内を朦朧《もうろう》と見せたのである。
『何卒《どうぞ》私に手紙を一本書いて下さいませんか――済《す》みませんが。』
と奥様は、用意して来た巻紙状袋を取出し乍ら、丑松の返事を待つて居る。其様子が何となく普通《たゞ》では無い、と丑松も看《み》て取つて、
『手紙を?』と問ひ返して見た。
『長野の寺院《てら》に居る妹のところへ遣《や》りたいのですがね、』と奥様は少許《すこし》言淀《いひよど》んで、『実は自分で書かうと思ひまして、書きかけては見たんです。奈何《どう》も私共の手紙は、唯長くばかり成つて、肝心《かんじん》の思ふことが書けないものですから。寧《いつ》そこりや貴方《あなた》に御願ひ申して、手短く書いて頂きたいと思ひまして――どうして女の手紙といふものは斯う用が達《もと》らないのでせう。まあ、私は何枚書き損つたか知れないんですよ――いえ、なに、其様《そんな》に煩《むづか》しい手紙でも有ません。唯解るやうに書いて頂きさへすれば好いのですから。』
『書きませう。』と丑松は簡短に引受けた。
斯答《このこたへ》に力を得て、奥様は手紙の意味を丑松に話した。一身上のことに就いて相談したい――是《この》手紙|着次第《ちやくしだい》、是非々々々々出掛けて来るやうに、と書いて呉れと頼んだ。蟹沢から飯山迄は便船も発《た》つ、もし舟が嫌なら、途中迄車に乗つて、それから雪橇に乗替へて来るやうに、と書いて呉れと頼んだ。今度といふ今度こそは絶念《あきら》めた、自分はもう離縁する考へで居る、と書いて呉れと頼んだ。
『他の人とは違つて、貴方ですから、私も斯様《こん》なことを御願ひするんです。』と言ふ奥様の眼は涙ぐんで来たのである。『訳を御話しませんから、不思議だと思つて下さるかも知れませんが――』
『いや。』と丑松は対手《あひて》の言葉を遮《さへぎ》つた。『私も薄々聞きました――実は、あの風間さんから。』
『ホウ、左様《さう》ですか。敬之進さんから御聞きでしたか。』と言つて、奥様は考深い目付をした。
『尤《もつと》も、左様|委敷《くはし》い事は私も知らないんですけれど。』
『あんまり馬鹿々々しいことで、貴方なぞに御話するのも面目ない。』と奥様は深い溜息を吐《つ》き乍ら言つた。『噫《あゝ》、吾寺《うち》の和尚さんも彼年齢《あのとし》に成つて、未《ま》だ今度のやうなことが有るといふは、全く病気なんですよ。病気ででも無くて、奈何して其様な心地《こゝろもち》に成るもんですか。まあ、瀬川さん、左様ぢや有ませんか。和尚さんもね、彼病気さへ無ければ、実に気分の優しい、好い人物《ひと》なんです――申分の無い人物なんです――いえ、私は今だつても和尚さんを信じて居るんですよ。』
(七)
『奈何《どう》して私は斯《か》う物に感じ易いんでせう。』と奥様は啜《すゝ》り上げた。『今度のやうなことが有ると、もう私は何《なんに》も手に着きません。一体、和尚さんの病気といふのは、今更始つたことでも無いんです。先住は早く亡《な》くなりまして、和尚さんが其後へ直つたのは、未《ま》だ漸《やうや》く十七の年だつたといふことでした。丁度私が斯寺《このてら》へ嫁《かたづ》いて来た翌々年《よく/\とし》、和尚さんは西京へ修業に行くことに成ましてね――まあ、若い時には能《よ》く物が出来ると言はれて、諸国から本山へ集る若手の中でも五本の指に数へられたさうですよ――それで私は、其頃未だ生きて居た先住の匹偶《つれあひ》と、今寺内に居る坊さんの父親《おとつ》さんと、斯う三人でお寺を預つて、五年ばかり留守居をしたことが有ました。考へて見ると、和尚さんの病気はもう其頃から起つて居たんですね。相手の女といふは、西京の魚《うを》の棚《たな》、油《あぶら》の小路《こうぢ》といふところにある宿屋の総領娘、といふことが知れたもんですから、さあ、寺内の先《せん》の坊さんも心配して、早速西京へ出掛けて行きました。其時、私は先住の匹偶《つれあひ》にも心配させないやうに、檀家《だんか》の人達の耳へも入れないやうにツて、奈何《どんな》に独りで気を揉《も》みましたか知れません。漸《やつと》のこと、お金を遣つて、女の方の手を切らせました。そこで和尚さんも真実《ほんたう》に懲《こ》りなければ成らないところです。ところが持つて生れた病は仕方の無いもので、それから三年|経《た》つて、今度は東京にある真宗の学校へ勤めることに成ると、復《ま》た病気が起りました。』
手紙を書いて貰ひに来た奥様は、用をそつちのけにして、種々《いろ/\》並べたり訴へたりし始めた。淡泊《さつぱり》したやうでもそこは女の持前で、聞いて貰はずには居られなかつたのである。
『尤も、』と奥様は言葉を続けた。『其時は、和尚さんを独りで遣《や》つては不可《いけない》といふので――まあ学校の方から月給は取れるし、留守中のことは寺内の坊さんが引受けて居て呉れるし、それに先住の匹偶《つれあひ》も東京を見たいと言ふもんですから、私も一緒に随いて行つて、三人して高輪《たかなわ》のお寺を仕切つて借りました。其処から学校へは何程《いくら》も無いんです。克《よ》く和尚さんは二本榎《にほんえのき》の道路《みち》を通ひました。丁度その二本榎に、若い未亡人《ごけさん》の家《うち》があつて、斯人《このひと》は真宗に熱心な、教育のある女でしたから、和尚さんも法話《はなし》を頼まれて行き/\しましたよ。忘れもしません、其女といふは背のすらりとした、白い優しい手をした人で、御墓参りに行くところを私も見掛けたことが有ます。ある時、其|未亡人《ごけさん》の噂《うはさ》が出ると、和尚さんは鼻の先で笑つて、「むゝ、彼女《あのをんな》か――彼様《あん》なひねくれた女は仕方が無い」と酷《ひど》く譏《けな》すぢや有ませんか。奈何《どう》でせう、瀬川さん、其時は最早和尚さんが関係して居たんです。何時の間にか女は和尚さんの種を宿しました。さあ、和尚さんも蒼《あを》く成つて了つて、「実は済《す》まないことをした」と私の前に手を突いて、謝罪《あやま》つたのです。根が正直な、好い性質の人ですから、悪かつたと思ふと直に後悔する。まあ、傍《はた》で見て居ても気の毒な位。「頼む」と言はれて見ると、私も放擲《うつちや》つては置かれませんから、手紙で寺内の坊さんを呼寄せました。其時、私の思ふには、「あゝ是《これ》は私に子が無いからだ。若し子供でも有つたら一層《もつと》和尚さんも真面目な気分に御成《おなん》なさるだらう。寧《いつ》そ其女の児を引取つて自分の子にして育てようかしら。」と斯う考へたり、ある時は又、「みす/\私が傍に附いて居乍ら、其様《そん》な女に子供迄出来たと言はれては、第一私が世間へ恥かしい。いかに言つても情ないことだ。今度こそは別れよう。」と考へたりしたんです。そこがそれ、女といふものは気の弱いもので、優しい言葉の一つも掛けられると、今迄の
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