》といふは、どこから見ても古い粗造な農家風の草屋。もとは城側《しろわき》の広小路といふところに士族屋敷の一つを構へたとか、其はもうずつと旧《ふる》い話で、下高井の方から帰つて来た時に、今のところへ移住《うつりす》んだのである。入口の壁の上に貼付けたものは、克《よ》く北信の地方に見かける御札で、烏の群れて居る光景《さま》を表してある。土壁には大根の乾葉《ひば》、唐辛《たうがらし》なぞを懸け、粗末な葦簾《よしず》の雪がこひもしてあつた。丁度其日は年貢《ねんぐ》を納めると見え、入口の庭に莚《むしろ》を敷きつめ、堆高《うづだか》く盛上げた籾《もみ》は土間一ぱいに成つて居た。丑松は敬之進を助け乍ら、一緒に敷居を跨いで入つた。裏木戸のところに音作、それと見て駈寄つて、いつまでも昔忘れぬ従僕《しもべ》らしい挨拶。
『今日は御年貢《おねんぐ》を納めるやうにツて、奥様《おくさん》も仰《おつしや》りやして――はい、弟の奴も御手伝ひに連れて参じやした。』
斯ういふ言葉を夢中に聞捨てゝ、敬之進は其処へ倒れて了つた。奥の方では、怒気《いかり》を含んだ細君の声と一緒に、叱られて泣く子供の声も起る。『何したんだ、どういふもんだ――めた(幾度も)悪戯《わるさ》しちや困るぢやないかい。』といふ細君の声を聞いて、音作は暫時《しばらく》耳を澄まして居たが、軈《やが》て思ひついたやうに、
『まあ、それでも旦那さんの酔ひなすつたことは。』
と旧《むかし》の主人を憐んで、助け起すやうにして、暗い障子《しやうじ》の蔭へ押隠した。其時、口笛を吹き乍ら、入つて来たのは省吾である。
『省吾さん。』と音作は声を掛けた。『御願ひでごはすが、彼の地親《ぢやうや》さん(ぢおやの訛《なまり》、地主の意)になあ、早く来て下さいツて、左様言つて来て御呉《おくん》なんしよや。』
(二)
間も無く細君も奥の方から出て来て、其処に酔倒れて居る敬之進が復た/\丑松の厄介に成つたことを知つた。周囲《まはり》に集る子供等は、いづれも母親の思惑《おもはく》を憚《はゞか》つて、互に顔を見合せたり、慄《ふる》へたりして居た。流石《さすが》に丑松の手前もあり、音作兄弟も来て居るので、細君は唯夫を尻目に掛けて、深い溜息を吐くばかりであつた。毎度敬之進が世話に成ること、此頃《こなひだ》はまた省吾が結構なものを頂いたこと、其《それ》や是《これ》やの礼を述べ乍ら、せか/\と立つたり座《すわ》つたりして話す。丑松は斯《この》細君の気の短い、忍耐力《こらへじやう》の無い、愚痴なところも感じ易いところも総《すべ》て外部《そと》へ露出《あらは》れて居るやうな――まあ、四十女に克《よ》くある性質を看《み》て取つた。丁度そこへ来て、座りもせず、御辞儀もせず、恍《とぼ》け顔《がほ》に立つた小娘は、斯細君の二番目の児である。
『これ、お作や。御辞儀しねえかよ。其様《そんな》に他様《ひとさま》の前で立つてるもんぢや無えぞよ。奈何《どう》して吾家《うち》の児は斯《か》う行儀が不良《わる》いだらず――』
といふ細君の言葉なぞを聞入れるお作では無かつた。見るからして荒くれた、男の児のやうな小娘。これがお志保の異母《はらちがひ》の姉妹《きやうだい》とは、奈何しても受取れない。
『まあ、斯児《このこ》は兄姉中《きやうだいぢゆう》で一番仕様が無え――もうすこし母さんの言ふことを聞くやうだと好いけれど。』
と言はれても、お作は知らん顔。何時の間にかぷいと駈出して行つて了つた。
午後の光は急に射入つて、暗い南窓の小障子も明るく、幾年張替へずにあるかと思はれる程の紙の色は赤黒く煤《すゝ》けて見える。『あゝ日が照《あた》つて来た、』と音作は喜んで、『先刻《さつき》迄は雪模様でしたが、こりや好い塩梅《あんばい》だ。』斯う言ひ乍ら、弟と一緒に年貢の準備《したく》を始めた。薄く黄ばんだ冬の日は斯の屋根の下の貧苦と零落とを照したのである。一度農家を訪れたものは、今丑松が腰掛けて居る板敷の炉辺《ろばた》を想像することが出来るであらう。其処は家族が食事をする場処でもあれば、客を款待《もてな》す場処でもある。庭は又、勝手でもあり、物置でもあり、仕事場でもあるので、表から裏口へ通り抜けて、すくなくも斯の草屋の三分の一を土間で占めた。彼方《あちら》の棚には茶椀、皿小鉢、油燈《カンテラ》等を置き、是方《こちら》の壁には鎌を懸け、種物の袋を釣るし、片隅に漬物桶、炭俵。台所の道具は耕作の器械と一緒にして雑然《ごちや/\》置並べてあつた。高いところに鶏の塒《ねぐら》も作り付けてあつたが、其は空巣も同然で、鳥らしいものが飼はれて居るとは見えなかつたのである。
斯《こ》の草屋はお志保の生れた場処で無いまでも、蓮華寺へ貰はれて行く前、敬之進の言葉によれば十三の春まで、斯の土壁の内に育てられたといふことが、酷《ひど》く丑松の注意を引いた。部屋は三間ばかりも有るらしい。軒の浅い割合に天井の高いのと、外部《そと》に雪がこひのして有るのとで、何となく家《うち》の内が薄暗く見える。壁は粗末な茶色の紙で張つて、年々《とし/″\》の暦と錦絵とが唯一つの装飾といふことに成つて居た。定めしお志保も斯の古壁の前に立つて、幼い眼に映る絵の中の男女《をとこをんな》を自分の友達のやうに眺めたのであらう。思ひやると、其昔のことも俤《おもかげ》に描かれて、言ふに言はれぬ可懐《なつか》しさを添へるのであつた。
其時、草色の真綿帽子を冠り、糸織の綿入羽織を着た、五十|余《あまり》の男が入口のところに顕《あらは》れた。
『地親《ぢやうや》さんでやすよ。』
と省吾は呼ばゝり乍ら入つて来た。
(三)
地主といふは町会議員の一人。陰気な、無愛相《ぶあいそ》な、極《ご》く/\口の重い人で、一寸丑松に会釈《ゑしやく》した後、黙つて炉の火に身を温めた。斯《か》ういふ性質《たち》の男は克く北部の信州人の中にあつて、理由《わけ》も無しに怒つたやうな顔付をして居るが、其実怒つて居るのでも何でも無い。丑松は其を承知して居るから、格別気にも留めないで、年貢の準備《したく》に多忙《いそが》しい人々の光景《ありさま》を眺め入つて居た。いつぞや郊外で細君や音作夫婦が秋の収穫《とりいれ》に従事したことは、まだ丑松の眼にあり/\残つて居る。斯《こ》の庭に盛上げた籾の小山は、実に一年《ひとゝせ》の労働の報酬《むくい》なので、今その大部分を割いて高い地代を払はうとするのであつた。
十六七ばかりの娘が入つて来て、筵の上に一升|桝《ます》を投げて置いて、軈《やが》てまた駈出して行つた。細君は庭の片隅に立つて、腰のところへ左の手をあてがひ乍ら、さも/\つまらないと言つたやうな風に眺めた。泣いて屋外《そと》から入つて来たのは、斯の細君の三番目の児、お末と言つて、五歳《いつゝ》に成る。何か音作に言ひなだめられて、お末は尚々《なほ/\》身を慄《ふる》はせて泣いた。頭から肩、肩から胴まで、泣きじやくりする度に震へ動いて、言ふことも能くは聞取れない。
『今に母さんが好い物を呉れるから泣くなよ。』
と細君は声を掛けた。お末は啜《すゝ》り上げ乍ら、母親の側へ寄つて、
『手が冷《つめた》い――』
『手が冷い? そんなら早く行つて炬燵《おこた》へあたれ。』
斯《か》う言つて、凍つた手を握〆《にぎりしめ》ながら、細君はお末を奥の方へ連れて行つた。
其時は地主も炉辺《ろばた》を離れた。真綿帽子を襟巻がはりにして、袖口と袖口とを鳥の羽翅《はがひ》のやうに掻合せ、半ば顔を埋《うづ》め、我と我身を抱き温め乍ら、庭に立つて音作兄弟の仕度するのを待つて居た。
『奈何《どう》でござんすなあ、籾《もみ》のこしらへ具合は。』
と音作は地主の顔を眺める。地主の声は低くて、其返事が聞取れない位。軈《やが》て、白い手を出して籾を抄《すく》つて見た。一粒口の中へ入れて、掌上《てのひら》のをも眺《なが》め乍《なが》ら、
『空穀《しひな》が有るねえ。』
と冷酷《ひやゝか》な調子で言ふ。音作は寂しさうに笑つて、
『空穀でも無いでやす――雀には食はれやしたが、しかし坊主(稲の名)が九分で、目は有りやすよ。まあ、一俵|造《こしら》へて掛けて見やせう。』
六つばかりの新しい俵が其処へ持出された。音作は箕《み》の中へ籾を抄入《すくひい》れて、其を大きな円形の一斗桝へうつす。地主は『とぼ』(丸棒)を取つて桝の上を平に撫《な》で量《はか》つた。俵の中へは音作の弟が詰めた。尤《もつと》も弟は黙つて詰めて居たので、兄の方は焦躁《もどか》しがつて、『貴様これへ入れろ――声掛けなくちや御年貢のやうで無くて不可《いけない》。』と自分の手に持つ箕《み》を弟の方へ投げて遣つた。
『さあ、沢山《どつしり》入れろ――一わたりよ、二わたりよ。』
と呼ぶ音作の声が起つた。一俵につき大桝で六斗づゝ、外に小桝で――娘が来て投げて置いて行つたので、三升づゝ、都合六斗三升の籾の俵が其処へ並んだ。
『六俵で内取に願ひやせう。』
と音作は俵蓋《さんだはら》を掩《おほ》ひ冠せ乍ら言つた。地主は答へなかつた。目を細くして無言で考へて居るは、胸の中に十露盤《そろばん》を置いて見るらしい。何時《いつ》の間にか音作の弟が大きな秤《はかり》を持つて来た。一俵掛けて、兄弟してうんと力を入れた時は、二人とも顔が真紅《まつか》に成る。地主は衡《はかりざを》の平均《たひら》になつたのを見澄まして、錘《おもり》の糸を動かないやうに持添へ乍ら調べた。
『いくら有やす。』と音作は覗《のぞ》き込んで、『むゝ、出放題《ではうでえ》あるは――』
『十八貫八百――是は魂消《たまげ》た。』と弟も調子を合せる。
『十八貫八百あれば、まあ、好い籾です。』と音作は腰を延ばして言つた。
『しかし、俵《へう》にもある。』と地主はどこまでも不満足らしい顔付。
『左様《さう》です。俵にも有やすが、其は知れたもんです。』
といふ兄の言葉に附いて、弟はまた独語《ひとりごと》のやうに、
『俺《おら》がとこは十八貫あれば好いだ。』
『なにしろ、坊主九分交りといふ籾ですからなあ。』
斯う言つて、音作は愚しい目付をしながら、傲然《がうぜん》とした地主の顔色を窺《うかゞ》ひ澄ましたのである。
(四)
斯《こ》の光景《ありさま》を眺めて居た丑松は、可憐《あはれ》な小作人の境涯《きやうがい》を思ひやつて――仮令《たとひ》音作が正直な百姓|気質《かたぎ》から、いつまでも昔の恩義を忘れないで、斯うして零落した主人の為に尽すとしても――なか/\細君の痩腕で斯の家族が養ひきれるものでは無いといふことを感じた。お志保が苦しいから帰りたいと言つたところで、『第一、八人の親子が奈何《どう》して食へよう』と敬之進も酒の上で泣いた。噫《あゝ》、実に左様《さう》だ。奈何して斯様《こん》なところへ帰つて来られよう。丑松は想像して慄《ふる》へたのである。
『まあ、御茶一つお上り。』と音作に言はれて、地主は寒さうに炉辺へ急いだ。音作も腰に着けた煙草入を取出して、立つて一服やり乍ら、
『六俵の二斗五升取ですか。』
『二斗五升ツてことが有るもんか。』と地主は嘲《あざけ》つたやうに、『四斗五升よ。』
『四斗……』
『四斗五升ぢや無いや、四斗七升だ――左様だ。』
『四斗七升?』
斯ういふ二人の問答を、細君は黙つて聞いて居たが、もう/\堪《こら》へきれないと言つたやうな風に、横合から話を引取つて、
『音さん。四斗七升の何のと言はないで、何卒《どうか》悉皆《すつかり》地親《ぢやうや》さんの方へ上げて了つて御呉《おくん》なんしよや――私《わし》はもう些少《すこし》も要《い》りやせん。』
『其様《そん》な、奥様《おくさん》のやうな。』と音作は呆《あき》れて細君の顔を眺める。
『あゝ。』と細君は嘆息した。『何程《いくら》私ばかり焦心《あせ》つて見たところで、肝心《かんじん》の家《うち》の夫《ひと》が何《なんに》も為ずに飲んだでは、やりきれる筈がごはせん。
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