には又|茫然《ぼんやり》と懐手して人の談話《はなし》を聞いて居るのもあつた。主婦《かみさん》は家《うち》の内でも手拭を冠り、藍染真綿を亀の甲のやうに着て、茶を出すやら、座蒲団を勧めるやら、金米糖《こんぺいたう》は古い皿に入れて款待《もてな》した。
丁度そこへ二台の人力車《くるま》が停つた。矢張《やはり》斯の霙《みぞれ》を衝《つ》いて、便船に後《おく》れまいと急いで来た客らしい。人々の視線は皆な其方に集つた。車夫はまるで濡鼠、酒代《さかて》が好いかして威勢よく、先づ雨被《あまよけ》を取除《とりはづ》して、それから手荷物のかず/\を茶屋の内へと持運ぶ。つゞいて客もあらはれた。
(二)
丑松が驚いたのは無理もなかつた。それは高柳の一行であつた。往《ゆ》きに一緒に成つて、帰りにも亦《ま》た斯《こ》の通り一緒に成るとは――しかも、同じ川舟を待合はせるとは。それに往きには高柳一人であつたのが、帰りには若い細君らしい女と二人連。女は、薄色縮緬《うすいろちりめん》のお高祖《こそ》を眉深《まぶか》に冠つたまゝ、丑松の腰掛けて居る側を通り過ぎた。新しい艶のある吾妻袍衣《あづまコート》に身を包んだ其|嫋娜《すらり》とした後姿を見ると、斯《こ》の女が誰であるかは直に読める。丑松はあの蓮太郎の話を想起《おもひおこ》して、いよ/\其が事実であつたのに驚いて了《しま》つた。
主婦《かみさん》に導かれて、二人はずつと奥の座敷へ通つた。そこには炬燵《こたつ》が有つて、先客一人、五十あまりの坊主、直に慣々《なれ/\》しく声を掛けたところを見ると、かねて懇意の仲ででも有らう。軈《やが》て盛んな笑声が起る。丑松は素知らぬ顔、屋外《そと》の方へ向いて、物寂《ものさみ》しい霙《みぞれ》の空を眺めて居たが、いつの間にか後の方へ気を取られる。聞くとは無しについ聞耳を立てる。座敷の方では斯様《こん》な談話《はなし》をして笑ふのであつた。
『道理で――君は暫時《しばらく》見えないと思つた。』と言ふは世慣《よな》れた坊主の声で、『私《わし》は又、選挙の方が忙しくて、其で地方廻りでも為《し》て居るのかと思つた。へえ、左様《さう》ですかい、そんな御目出度《おめでたい》ことゝは少許《すこし》も知らなかつたねえ。』
『いや、どうも忙しい思《おもひ》を為て来ましたよ。』斯《か》う言つて笑ふ声を聞くと、高柳はさも得意で居るらしい。
『それはまあ何よりだつた。失礼ながら、奥様《おくさん》は? 矢張《やはり》東京の方からでも?』
『はあ。』
この『はあ』が丑松を笑はせた。
談話《はなし》の様子で見ると、高柳夫婦は東京の方へ廻つて、江の島、鎌倉あたりを見物して来て、是から飯山へ乗込むといふ寸法らしい。そこは抜目の無い、細工の多い男だから、根津から直に引返すやうなことを為《し》ないで、わざ/\遠廻りして帰つて来たものと見える。さて、坊主を捕《つかま》へて、片腹痛いことを吹聴《ふいちやう》し始めた。聞いて居る丑松には其心情の偽《いつはり》が読め過ぎるほど読めて、終《しまひ》には其処に腰掛けても居られないやうになつた。『恐しい世の中だ』――斯う考へ乍ら、あの夫婦の暗い秘密を自分の身に引比べると、さあ何となく気懸りでならない。やがて、故意《わざ》と無頓着な様子を装《つくろ》つて、ぶらりと休茶屋の外へ出て眺めた。
霙《みぞれ》は絶えず降りそゝいで居た。あの越後路から飯山あたりへかけて、毎年《まいとし》降る大雪の前駆《さきぶれ》が最早やつて来たかと思はせるやうな空模様。灰色の雲は対岸に添ひ徊徘《さまよ》つた、広濶《ひろ/″\》とした千曲川の流域が一層遠く幽《かすか》に見渡される。上高井の山脈、菅平の高原、其他畳み重なる多くの山々も雪雲に埋没《うづも》れて了《しま》つて、僅かに見えつ隠れつして居た。
斯うして茫然《ばうぜん》として、暫時《しばらく》千曲川の水を眺めて居たが、いつの間にか丑松の心は背後《うしろ》の方へ行つて了つた。幾度か丑松は振返つて二人の様子を見た。見まい/\と思ひ乍ら、つい見た。丁度乗船の切符を売出したので、人々は皆な争つて買つた。間も無く船も出るといふ。混雑する旅人の群に紛《まぎ》れて、先方《さき》の二人も亦た時々盗むやうに是方《こちら》の様子を注意するらしい――まあ、思做《おもひなし》の故《せゐ》かして、すくなくとも丑松には左様《さう》酌《と》れたのである。女の方で丑松を知つて居るか、奈何か、それは克《よ》く解らないが、丑松の方では確かに知つて居る。髪のかたちこそ新婚の人のそれに結ひ変へては居るが、紛れの無い六左衛門の娘、白いもの花やかに彩色《いろどり》して恥の面を塗り隠し、野心深い夫に倚添《よりそ》ひ、崖《がけ》にある坂路をつたつて、舟に乗るべきところへ下りて行つた。『何と思つて居るだらう――あの二人は。』斯う考へ乍ら、丑松も亦た人々の後に随《つ》いて、一緒にその崖を下りた。
(三)
川舟は風変りな屋形造りで、窓を附け、舷《ふなべり》から下を白く化粧して赤い二本筋を横に表してある。それに、艫寄《ともより》の半分を板戸で仕切つて、荷積みの為に区別がしてあるので、客の座るところは細長い座敷を見るやう。立てば頭が支へる程。人々はいづれも狭苦しい屋形の下に膝を突合せて乗つた。
やがて水を撃つ棹《さを》の音がした。舟底は砂の上を滑り始めた。今は二挺|櫓《ろ》で漕ぎ離れたのである。丑松は隅の方に両足を投出して、独り寂しさうに巻煙草を燻《ふか》し乍《なが》ら、深い/\思に沈んで居た。河の面に映る光線の反射は割合に窓の外を明くして、降りそゝぐ霙の眺めをおもしろく見せる。舷《ふなべり》に触れて囁《つぶや》くやうに動揺する波の音、是方《こちら》で思つたやうに聞える眠たい櫓のひゞき――あゝ静かな水の上だ。荒寥《くわうれう》とした岸の楊柳《やなぎ》もところ/″\。時としては其冬木の姿を影のやうに見て進み、時としては其枯々な枝の下を潜るやうにして通り抜けた。是《これ》から将来《さき》の自分の生涯は畢竟《つまり》奈何《どう》なる。斯う丑松は自分で自分に尋ねることもあつた。誰が其を知らう。窓から首を出して飯山の空を眺めると、重く深く閉塞《とぢふさが》つた雪雲の色はうたゝ孤独な穢多の子の心を傷《いた》ましめる。残酷なやうな、可懐《なつか》しいやうな、名のつけやうの無い心地《こゝろもち》は丑松の胸の中を掻乱《かきみだ》した。今――学校の連中は奈何《どう》して居るだらう。友達の銀之助は奈何して居るだらう。あの不幸な、老朽な敬之進は奈何して居るだらう。蓮華寺の奥様は。お志保は。と不図、省吾から来た手紙の文句なぞを思出して見ると、逢《あ》ひたいと思ふ其人に復《ま》た逢はれるといふ楽みが無いでもない。丑松はあの寺の古壁を思ひやるごとに、空寂なうちにも血の湧くやうな心地《こゝろもち》に帰るのであつた。
『蓮華寺――蓮華寺。』
と水に響く櫓の音も同じやうに調子を合せた。
霙は雪に変つて来た。徒然《つれ/″\》な舟の中は人々の雑談で持切つた。就中《わけても》、高柳と一緒になつた坊主、茶にしたやうな口軽な調子で、柄に無い政事上の取沙汰《とりざた》、酢《す》の菎蒻《こんにやく》のとやり出したので、聞く人は皆な笑ひ憎んだ。斯《こ》の坊主に言はせると、選挙は一種の遊戯で、政事家は皆な俳優に過ぎない、吾儕《われ/\》は唯見物して楽めば好いのだと。斯の言葉を聞いて、また人々が笑へば、そこへ弥次馬が飛出す、其尾に随いて贔顧《ひいき》不贔顧《ぶひいき》の論が始まる。『いよ/\市村も侵入《きりこ》んで来るさうだ。』と一人が言へば、『左様《さう》言ふ君こそ御先棒に使役《つか》はれるんぢや無いか。』と攪返《まぜかへ》すものがある。弁護士の名は幾度か繰返された。其を聞く度に、高柳は不快らしい顔付。ふゝむと鼻の先で笑つて、嘲つたやうに口唇を引歪《ひきゆが》めた。
斯《か》ういふ他《ひと》の談話《はなし》の間にも、女は高柳の側に倚添つて、耳を澄まして、夫の機嫌を取り乍ら聞いて居た。見れば、美しい女の数にも入るべき人で、殊《こと》に華麗《はなやか》な新婚の風俗は多くの人の目を引いた。髪は丸髷《まるまげ》に結ひ、てがらは深紅《しんく》を懸け、桜色の肌理《きめ》細やかに肥えあぶらづいて、愛嬌《あいけう》のある口元を笑ふ度に掩ひかくす様は、まだ世帯の苦労なぞを知らない人である。さすが心の表情は何処《どこ》かに読まれるもので――大きな、ぱつちりとした眼のうちには、何となく不安の色も顕《あらは》れて、熟《じつ》と物を凝視《みつ》めるやうな沈んだところも有つた。どうかすると、女は高柳の耳の側へ口を寄せて、何か人に知れないやうに私語《さゝや》くことも有つた。どうかすると又、丑松の方を盗むやうに見て、『おや、彼の人は――何処かで見掛けたやうな気がする』と斯う其眼で言ふことも有つた。
同族の哀憐《あはれみ》は、斯の美しい穢多の女を見るにつけても、丑松の胸に浮んで来た。人種さへ変りが無くば、あれ程の容姿《きりやう》を持ち、あれ程|富有《ゆたか》な家に生れて来たので有るから、無論相当のところへ縁付かれる人だ――彼様《あん》な野心家の餌《ゑば》なぞに成らなくても済《す》む人だ――可愛さうに。斯う考へると同時に、丁度女も自分と同じ秘密を持つて居るかと思ひやると、どうも其処が気懸りでならない。よしんば先方《さき》で自分を知つて居るとしたところで、其が奈何《どう》した、と丑松は自分で自分に尋ねて見た。根津の人、または姫子沢のもの、と思つて居るなら自分に取つて一向恐れるところは無い。恐れるとすれば、其は反《かへ》つて先方《さき》のことだ。斯う自分で答へて見た。第一、自分は四五年|以来《このかた》、数へる程しか故郷へ帰らなかつた――卒業した時に一度――それから今度の帰省が足掛三年目――まあ、あの向町なぞは成るべく避《よ》けて通らなかつたし、通つたところで他《ひと》が左様《さう》注意して見る筈も無し、見たところで何処のものだか解らない――大丈夫。斯う用心深く考へても見た。畢竟《つまり》自分が二人の暗い秘密を聞知つたから、それで斯う気が咎《とが》めるのであらう。彼様《あゝ》して私語《さゝや》くのは何でも無いのであらう。避けるやうな素振《そぶり》は唯人目を羞《は》ぢるのであらう。あの目付も。
とはいふものゝ、何となく不安に思ふ其懸念が絶えず心の底にあつた。丑松は高柳夫婦を見ないやうにと勉《つと》めた。
(四)
千曲川の瀬に乗つて下ること五里。尤《もつと》も、其間には、ところ/″\の舟場へも漕ぎ寄せ、洪水のある度に流れるといふ粗造な船橋の下をも潜り抜けなどして、そんなこんなで手間取れた為に、凡《およ》そ三時間は舟旅に費《かゝ》つた。飯山へ着いたのは五時近い頃。其日は舟の都合で、乗客一同|上《かみ》の渡しまで。丑松は人々と一緒に其処から岸へ上つた。見れば雪は河原にも、船橋の上にも在つた。丁度小降のなかを暮れて、仄白《ほのじろ》く雪の町々。そこにも、こゝにも、最早ちら/\灯《あかり》が点く。其時蓮華寺で撞《つ》く鐘の音が黄昏《たそがれ》の空に響き渡る――あゝ、庄馬鹿が撞くのだ。相変らず例の鐘楼に上つて冬の一日《ひとひ》の暮れたことを報せるのであらう。と其を聞けば、言ふに言はれぬ可懐《なつか》しさが湧上つて来る。丑松は久し振りで飯山の地を踏むやうな心地《こゝろもち》がした。
半月ばかり見ないうちに、家々は最早《もう》冬籠《ふゆごもり》の用意、軒丈ほどの高さに毎年《まいとし》作りつける粗末な葦簾《よしず》の雪がこひが悉皆《すつかり》出来上つて居た。越後路と同じやうな雪国の光景《ありさま》は丑松の眼前《めのまへ》に展《ひら》けたのである。
新町の通りへ出ると、一筋暗く踏みつけた町中の雪道を用事ありげな男女《をとこをんな》が往つたり来たりして居た。いづれも斯《こ》の夕暮を急ぐ人々ばかり。丑松は右へ避《よ》け、左へ
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