いふ隣同志の家の子供が、互ひに遊友達と成つたは不思議でも何でも無い。のみならず、二人は丁度同い年であつたのである。
 楽しい追憶《おもひで》の情は、唐人笛の音を聞くと同時に、丑松の胸の中に湧上《わきあが》つて来た。朦朧《おぼろげ》ながら丑松は幼いお妻の俤《おもかげ》を忘れずに居る。はじめて自分の眼に映つた少女《をとめ》の愛らしさを忘れずに居る。あの林檎畠が花ざかりの頃は、其枝の低く垂下つたところを彷徨《さまよ》つて、互ひに無邪気な初恋の私語《さゝやき》を取交したことを忘れずに居る。僅かに九歳《こゝのつ》の昔、まだ夢のやうなお伽話《とぎばなし》の時代――他のことは多く記憶にも残らない程であるが、彼の無垢《むく》な情緒《こゝろもち》ばかりは忘れずに居る。尤《もつと》も、幼い二人の交際《まじはり》は長く続かなかつた。不図《ふと》丑松はお妻の兄と親しくするやうに成つて、それぎり最早《もう》お妻とは遊ばなかつた。
 お妻が斯《こ》の塚窪へ嫁《かたづ》いて来たは、十六の春のこと。夫といふのも丑松が小学校時代の友達で、年齢《とし》は三人同じであつた。田舎《ゐなか》の習慣《ならはし》とは言ひ乍ら、殊《こと》に彼の夫婦は早く結婚した。まだ丑松が師範校の窓の下で歴史や語学の研究に余念も無い頃に、もう彼の若い夫婦は幼いものに絡《まと》ひ付かれ、朝に晩に『父さん、母さん』と呼ばれて居たのであつた。
 斯《か》ういふ過去の歴史を繰返したり、胸を踊らせたりして、丑松は坂を上つて行つた。山の方から溢《あふ》れて来る根津川の支流は、清く、浅く、家々の前を奔《はし》り流れて居る。路傍《みちばた》の栗の梢《こずゑ》なぞ、早や、枯れ/″\。柿も一葉を留めない程。水草ばかりは未だ青々として、根を浸すありさまも心地よく見られる。冬籠《ふゆごもり》の用意に多忙《いそが》しい頃で、人々はいづれも流のところに集つて居た。余念も無く蕪菜《かぶな》を洗ふ女の群の中に、手拭に日を避《よ》け、白い手をあらはし、甲斐々々《かひ/″\》しく働く襷掛《たすきが》けの一人――声を掛けて見ると、それがお妻で、丑松は斯の幼馴染の様子の変つたのに驚いて了《しま》つた。お妻も亦た驚いたやうであつた。
 其日はお妻の夫も舅《しうと》も留守で、家に居るのは唯|姑《しうとめ》ばかり。五人も子供が有ると聞いたが、年嵩《としかさ》なのが見えないは、大方遊びにでも行つたものであらう。五歳《いつゝ》ばかりを頭《かしら》に、三人の女の児は母親に倚添《よりそ》つて、恥かしがつて碌《ろく》に御辞儀《おじぎ》も為なかつた。珍しさうに客の顔を眺めるもあり、母親の蔭に隠れるもあり、漸《やうや》く歩むばかりの末の児は、見慣《みな》れぬ丑松を怖れたものか、軈《やが》てしく/\やり出すのであつた。是|光景《ありさま》に、姑も笑へば、お妻も笑つて、『まあ、可笑《をか》しな児だよ、斯の児は。』と乳房を出して見せる。それを咬《くは》へて、泣吃逆《なきじやつくり》をし乍《なが》ら、密《そつ》と丑松の方を振向いて見て居る児童《こども》の様子も愛らしかつた。
 話好きな姑は一人で喋舌《しやべ》つた。お妻は茶を入れて丑松を款待《もてな》して居たが、流石《さすが》に思出したことも有ると見えて、
『そいつても、まあ、丑松さんの大きく御成《おなん》なすつたこと。』
 と言つて、客の顔を眺《なが》めた時は、思はず紅《あか》くなつた。
 会葬の礼を述べた後、丑松はそこ/\にして斯の家を出た。姑と一緒に、お妻も亦《ま》た門口に出て、客の後姿を見送るといふ様子。今更のやうに丑松は自他《われひと》の変遷《うつりかはり》を考へて、塚窪の坂を上つて行つた。彼の世帯染みた、心の好ささうな、何処《どこ》やら床《ゆか》しいところのあるお妻は――まあ、忘れずに居る其俤に比べて見ると、全く別の人のやうな心地《こゝろもち》もする。自分と同い年で、しかも五人子持――あれが幼馴染《をさななじみ》のお妻であつたかしらん、と時々立止つて嘆息した。
 斯ういふ追懐《おもひで》の情は、とは言へ、深く丑松の心を傷けた。平素《しよつちゆう》もう疑惧《うたがひ》の念を抱いて苦痛《くるしみ》の為に刺激《こづ》き廻されて居る自分の今に思ひ比べると、あの少年の昔の楽しかつたことは。噫、何にも自分のことを知らないで、愛らしい少女《をとめ》と一緒に林檎畠を彷徨《さまよ》つたやうな、楽しい時代は往《い》つて了《しま》つた。もう一度丑松は左様《さう》いふ時代の心地《こゝろもち》に帰りたいと思つた。もう一度丑松は自分が穢多であるといふことを忘れて見たいと思つた。もう一度丑松は彼の少年の昔と同じやうに、自由に、現世《このよ》の歓楽《たのしみ》の香を嗅いで見たいと思つた。斯う考へると、切ない慾望《のぞみ》は胸を衝《つ》いて春の潮のやうに湧き上る。穢多としての悲しい絶望、愛といふ楽しい思想《かんがへ》、そんなこんなが一緒に交つて、若い生命《いのち》を一層《ひとしほ》美しくして見せた。終《しまひ》には、あの蓮華寺のお志保のことまでも思ひやつた。活々とした情の為に燃え乍ら、丑松は蓮太郎の旅舎《やどや》を指して急いだのである。

       (二)

 御泊宿、吉田屋、と軒行燈《のきあんどん》に記してあるは、流石《さすが》に古い街道の名残《なごり》。諸国商人の往来もすくなく、昔の宿はいづれも農家となつて、今はこの根津村に二三軒しか旅籠屋《はたごや》らしいものが残つて居ない。吉田屋は其一つ、兎角《とかく》商売も休み勝ち、客間で秋蚕《しうこ》飼ふ程の時世と変りはてた。とは言ひ乍ら、寂《さび》れた中にも風情《ふぜい》のあるは田舎《ゐなか》の古い旅舎《やどや》で、門口に豆を乾並べ、庭では鶏も鳴き、水を舁《かつ》いで風呂場へ通ふ男の腰付もをかしいもの。炉《ろ》で焚《た》く『ぼや』の火は盛んに燃え上つて、無邪気な笑声が其|周囲《まはり》に起るのであつた。
『左様《さう》だ――例のことを話さう。』
 と丑松は自分で自分に言つた。吉田屋の門口へ入つた時は、其|思想《かんがへ》が復《ま》た胸の中を往来したのである。
 案内されて奥の方の座敷へ通ると、蓮太郎一人で、弁護士は未だ帰らなかつた。額、唐紙、すべて昔の風を残して、古びた室内の光景《さま》とは言ひ乍ら、談話《はなし》を為《す》るには至極静かで好かつた。火鉢に炭を加へ、其側に座蒲団を敷いて、相対《さしむかひ》に成つた時の心地《こゝろもち》は珍敷《めづらし》くもあり、嬉敷《うれし》くもあり、蓮太郎が手づから入れて呉れる茶の味は又格別に思はれたのである。其時丑松は日頃愛読する先輩の著述を数へて、始めて手にしたのが彼《あ》の大作、『現代の思潮と下層社会』であつたことを話した。『貧しきものゝなぐさめ』、『労働』、『平凡なる人』、とり/″\に面白く味《あぢは》つたことを話した。丑松は又、『懴悔録』の広告を見つけた時の喜悦《よろこび》から、飯山の雑誌屋で一冊を買取つて、其を抱いて内容《なかみ》を想像し乍ら下宿へ帰つた時の心地《こゝろもち》、読み耽つて心に深い感動を受けたこと、社会《よのなか》といふものゝ威力《ちから》を知つたこと、さては其著述に顕《あら》はれた思想《かんがへ》の新しく思はれたことなぞを話した。
 蓮太郎の喜悦《よろこび》は一通りで無かつた。軈て風呂が湧いたといふ案内をうけて、二人して一緒に入りに行つた時も、蓮太郎は其を胸に浮べて、かねて知己とは思つて居たが、斯《か》う迄自分の書いたものを読んで呉れるとは思はなかつたと、丑松の熱心を頼母《たのも》しく考へて居たらしいのである。病が病だから、蓮太郎の方では遠慮する気味で、其様《そん》なことで迷惑を掛けたく無い、と健康《たつしや》なものゝ知らない心配は絶えず様子に表はれる。斯うなると丑松の方では反《かへ》つて気の毒になつて、病の為に先輩を恐れるといふ心は何処へか行つて了つた。話せば話すほど、哀憐《あはれみ》は恐怖《おそれ》に変つたのである。
 風呂場の窓の外には、石を越して流下る水の声もおもしろく聞えた。透《す》き澄《とほ》るばかりの沸《わか》し湯《ゆ》に身体を浸し温めて、しばらく清流の響に耳を嬲《なぶ》らせる其楽しさ。夕暮近い日の光は窓からさし入つて、蒸《む》し烟《けぶ》る風呂場の内を朦朧《もうろう》として見せた。一ぱい浴びて流しのところへ出た蓮太郎は、湯気に包まれて燃えるかのやう。丑松も紅《あか》くなつて、顔を伝ふ汗の熱さに暫時《しばらく》世の煩《わづら》ひを忘れた。
『先生、一つ流しませう。』と丑松は小桶《こをけ》を擁《かゝ》へて蓮太郎の背後《うしろ》へ廻る。
『え、流して下さる?』と蓮太郎は嬉しさうに、『ぢやあ、願ひませうか。まあ君、ざつと遣つて呉れたまへ。』
 斯うして丑松は、日頃慕つて居る其人に近いて、奈何《どう》いふ風に考へ、奈何いふ風に言ひ、奈何いふ風に行ふかと、すこしでも蓮太郎の平生を見るのが楽しいといふ様子であつた。急に二人は親密《したしみ》を増したやうな心地《こゝろもち》もしたのである。
『さあ、今度は僕の番だ。』
 と蓮太郎は湯を汲出《かいだ》して言つた。幾度か丑松は辞退して見た。
『いえ、私は沢山です。昨日入つたばかりですから。』と復《ま》た辞退した。
『昨日は昨日、今日は今日さ。』と蓮太郎は笑つて、『まあ、左様《さう》遠慮しないで、僕にも一つ流させて呉れたまへ。』
『恐れ入りましたなあ。』
『どうです、瀬川君、僕の三助もなか/\巧いものでせう――はゝゝゝゝ。』と戯れて、やがて蓮太郎はそこに在る石鹸《シャボン》を溶いて丑松の背中へつけて遣り乍ら、『僕がまだ長野に居る時分、丁度修学旅行が有つて、生徒と一緒に上州の方へ出掛けたことが有りましたツけ。まだ覚えて居るが、彼《あ》の時の投票は、僕がそれ大食家さ。しかし大食家と言はれる位に、彼の頃は壮健《たつしや》でしたよ。それからの僕の生涯は、実に種々《いろ/\》なことが有ましたねえ。克《よ》くまあ僕のやうな人間が斯うして今日迄生きながらへて来たやうなものさ。』
『先生、もう沢山です。』
『何だねえ、今始めたばかりぢや無いか。まだ、君、垢が些少《ちつと》も落ちやしない。』
 と蓮太郎は丁寧に丑松の背中を洗つて、終《しまひ》に小桶の中の温い湯を掛けてやつた。遣ひ捨ての湯水は石鹸の泡に交つて、白くゆるく板敷の上を流れて行つた。
『君だから斯様《こん》なことを御話するんだが、』と蓮太郎は思出したやうに、『僕は仲間のことを考へる度に、実に情ないといふ心地《こゝろもち》を起さずには居られない。御恥しい話だが、思想の世界といふものは、未だ僕等の仲間には開けて居ないのだね。僕があの師範校を出た頃には、それを考へて、随分暗い月日を送つたことも有ましたよ。病気になつたのも、実は其結果さ。しかし病気の為に、反《かへ》つて僕は救はれた。それから君、考へてばかり居ないで、働くといふ気になつた。ホラ、君の読んで下すつたといふ「現代の思潮と下層社会」――あれを書く頃なぞは、健康《たつしや》だといふ日は一日も無い位だつた。まあ、後日新平民のなかに面白い人物でも生れて来て、あゝ猪子といふ男は斯様《こん》なものを書いたかと、見て呉れるやうな時が有つたら、それでもう僕なぞは満足するんだねえ。むゝ、その踏台さ――それが僕の生涯《しやうがい》でもあり、又|希望《のぞみ》でもあるのだから。』

       (三)

 言はう/\と思ひ乍ら、何か斯《か》う引止められるやうな気がして、丑松は言はずに風呂を出た。まだ弁護士は帰らなかつた。夕飯の用意にと、蓮太郎が宿へ命じて置いたは千曲川の鮠《はや》、それは上田から来る途中で買取つたとやらで、魚田楽《ぎよでん》にこしらへさせて、一緒に初冬の河魚の味を試みたいとのこと。仕度するところと見え、摺鉢《すりばち》を鳴らす音は台所の方から聞える。炉辺《ろばた》で鮠の焼ける香は、ぢり/\落ちて燃える魚膏《あぶら》の煙に交つて、斯の座敷までも甘《うま》さうに通つて
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