》ませない。『あゝ、伝染《うつ》りはすまいか。』どうかすると其様《そん》なことを考へて、先輩の病気を恐しく思ふことも有る。幾度か丑松は自分で自分を嘲《あざけ》つた。
千曲川《ちくまがは》沿岸の民情、風俗、武士道と仏教とがところ/″\に遺した中世の古蹟、信越線の鉄道に伴ふ山上の都会の盛衰、昔の北国街道の栄花《えいぐわ》、今の死駅の零落――およそ信濃路のさま/″\、それらのことは今二人の談話《はなし》に上つた。眼前《めのまへ》には蓼科《たてしな》、八つが嶽、保福寺《ほふくじ》、又は御射山《みさやま》、和田、大門などの山々が連つて、其山腹に横はる大傾斜の眺望は西東《にしひがし》に展《ひら》けて居た。青白く光る谷底に、遠く流れて行くは千曲川の水。丑松は少年の時代から感化を享《う》けた自然のこと、土地の案内にも委《くは》しいところからして、一々指差して語り聞かせる。蓮太郎は其話に耳を傾けて、熱心に眺め入つた。対岸に見える八重原の高原、そこに人家の煙の立ち登る光景《さま》は、殊に蓮太郎の注意を引いたやうであつた。丑松は又、谷底の平地に日のあたつたところを指差して見せて、水に添ふて散布するは、依田窪《よだくぼ》、長瀬、丸子《まりこ》などの村落であるといふことを話した。濃く青い空気に包まれて居る谷の蔭は、霊泉寺、田沢、別所などの温泉の湧くところ、農夫が群れ集る山の上の歓楽の地、よく蕎麦《そば》の花の咲く頃には斯辺《このへん》からも労苦を忘れる為に出掛けるものがあるといふことを話した。
蓮太郎に言はせると、彼も一度は斯ういふ山の風景に無感覚な時代があつた。信州の景色は『パノラマ』として見るべきで、大自然が描いた多くの絵画の中では恐らく平凡といふ側に貶《おと》される程のものであらう――成程《なるほど》、大きくはある。然し深い風趣《おもむき》に乏しい――起きたり伏たりして居る波濤《なみ》のやうな山々は、不安と混雑とより外に何の感想《かんじ》をも与へない――それに対《むか》へば唯心が掻乱《かきみだ》されるばかりである。斯う蓮太郎は考へた時代もあつた。不思議にも斯の思想《かんがへ》は今度の旅行で破壊《ぶちこは》されて了《しま》つて、始めて山といふものを見る目が開《あ》いた。新しい自然は別に彼の眼前《めのまへ》に展けて来た。蒸《む》し煙《けぶ》る傾斜の気息《いき》、遠く深く潜む谷の声、活きもし枯れもする杜《もり》の呼吸、其間にはまた暗影と光と熱とを帯びた雲の群の出没するのも目に注《つ》いて、『平野は自然の静息、山嶽は自然の活動』といふ言葉の意味も今更のやうに思ひあたる。一概に平凡と擯斥《しりぞ》けた信州の風景は、『山気』を通して反《かへ》つて深く面白く眺められるやうになつた。
斯ういふ蓮太郎の観察は、山を愛する丑松の心を悦《よろこ》ばせた。其日は西の空が開けて、飛騨《ひだ》の山脈を望むことも出来たのである。見れば斯の大谿谷のかなたに当つて、畳み重なる山と山との上に、更に遠く連なる一列の白壁。今年の雪も早や幾度か降り添ふたのであらう。その山々は午後の日をうけて、青空に映り輝いて、殆んど人の気魄《たましひ》を奪ふばかりの勢であつた。活々《いき/\》とした力のある山塊の輪郭と、深い鉛紫《えんし》の色を帯びた谷々の影とは、一層その眺望に崇高な趣を添へる。針木嶺、白馬嶽、焼嶽、鎗が嶽、または乗鞍嶽《のりくらがたけ》、蝶が嶽、其他多くの山獄の峻《けは》しく競《きそ》ひ立つのは其処だ。梓川、大白川なぞの源を発するのは其処だ。雷鳥の寂しく飛びかふといふのは其処だ。氷河の跡の見られるといふのは其処だ。千古人跡の到らないといふのは其処だ。あゝ、無言にして聳《そび》え立つ飛騨の山脈の姿、長久《とこしへ》に荘厳《おごそか》な自然の殿堂――見れば見る程、蓮太郎も、丑松も、高い気象を感ぜずには居られなかつたのである。殊に其日の空気はすこし黄に濁つて、十一月上旬の光に交つて、斯の広濶《ひろ》い谿谷《たにあひ》を盛んに煙《けぶ》るやうに見せた。長い間、二人は眺め入つた。眺め入り乍ら、互に山のことを語り合つた。
(四)
噫《あゝ》。幾度丑松は蓮太郎に自分の素性を話さうと思つたらう。昨夜なぞは遅くまで洋燈《ランプ》の下で其事を考へて、もし先輩と二人ぎりに成るやうな場合があつたなら、彼様《あゝ》言はうか、此様《かう》言はうかと、さま/″\の想像に耽《ふけ》つたのであつた。蓮太郎は今、丑松の傍に居る。さて逢《あ》つて見ると、言出しかねるもので、風景なぞのことばかり話して、肝心の思ふことは未《ま》だ話さなかつた。丑松は既に種々《いろ/\》なことを話して居乍ら、未だ何《なんに》も蓮太郎に話さないやうな気がした。
夕飯の用意を命じて置いて来たからと、蓮太郎に誘はれて、丑松は一緒に根津の旅舎《やどや》の方へ出掛けて行つた。道々丑松は話しかけて、正直なところを言はう/\として見た。それを言つたら、自分の真情が深く先輩の心に通ずるであらう、自分は一層《もつと》先輩に親むことが出来るであらう、斯う考へて、其を言はうとして、言ひ得ないで、時々立止つては溜息を吐くのであつた。秘密――生死《いきしに》にも関はる真実《ほんたう》の秘密――仮令《たとひ》先方《さき》が同じ素性であるとは言ひ乍ら、奈何《どう》して左様《さう》容易《たやす》く告白《うちあ》けることが出来よう。言はうとしては躊躇《ちうちよ》した。躊躇しては自分で自分を責めた。丑松は心の内部《なか》で、懼《おそ》れたり、迷つたり、悶えたりしたのである。
軈《やが》て二人は根津の西町の町はづれへ出た。石地蔵の佇立《たゝず》むあたりは、向町《むかひまち》――所謂《いはゆる》穢多町で、草葺《くさぶき》の屋造《やね》が日あたりの好い傾斜に添ふて不規則に並んで居る。中にも人目を引く城のやうな一郭《ひとかまへ》、白壁高く日に輝くは、例の六左衛門の住家《すみか》と知れた。農業と麻裏製造《あさうらづくり》とは、斯《こ》の部落に住む人々の職業で、彼の小諸の穢多町のやうに、靴、三味線、太鼓、其他獣皮に関したものの製造、または斃馬《へいば》の売買なぞに従事して居るやうな手合は一人も無い。麻裏はどの穢多の家《うち》でも作るので、『中抜き』と言つて、草履の表に用《つか》ふ美しい藁がところ/″\の垣根の傍に乾してあつた。丑松は其を見ると、瀬川の家の昔を思出した。小諸時代を思出した。亡くなつた母も、今の叔母も、克《よ》く其の『中抜き』を編んで居たことを思出した。自分も亦《ま》た少年の頃には、戸隠から来る『かはそ』(草履裏の麻)なぞを玩具《おもちや》にして、父の傍で麻裏造る真似をして遊んだことを思出した。
六左衛門のことは、其時、二人の噂《うはさ》に上つた。蓮太郎はしきりに彼の穢多の性質や行為《おこなひ》やらを問ひ尋ねる。聞かれた丑松とても委敷《くはしく》は無いが、知つて居る丈《だけ》を話したのは斯うであつた。六左衛門の富は彼が一代に作つたもの。今日のやうな俄分限者《にはかぶげんしや》と成つたに就いては、甚《はなは》だ悪しざまに罵るものがある。慾深い上に、虚栄心の強い男で、金の力で成ることなら奈何《どん》な事でもして、何卒《どうか》して『紳士』の尊称を得たいと思つて居る程。恐らく上流社会の華《はな》やかな交際は、彼が見て居る毎日の夢であらう。孔雀の真似を為《す》る鴉《からす》の六左衛門が東京に別荘を置くのも其為である。赤十字社の特別社員に成つたのも其為である。慈善事業に賛成するのも其為である。書画|骨董《こつとう》で身の辺《まはり》を飾るのも亦た其為である。彼程《あれほど》学問が無くて、彼程蔵書の多いものも鮮少《すくな》からう、とは斯界隈《このかいわい》での一つ話に成つて居る。
斯ういふことを語り乍ら歩いて行くうちに、二人は六左衛門の家の前へ出て来た。丁度午後の日を真面《まとも》にうけて、宏壮《おほき》な白壁は燃える火のやうに見える。建物|幾棟《いくむね》かあつて、長い塀《へい》は其|周囲《まはり》を厳《いかめ》しく取繞《とりかこ》んだ。新平民の子らしいのが、七つ八つを頭《かしら》にして、何か『めんこ』の遊びでもして、其塀の外に群り集つて居た。中には頬の紅《あか》い、眼付の愛らしい子もあつて、普通の家の小供と些少《すこし》も相違の無いのがある。中には又、卑しい、愚鈍《おろか》しい、どう見ても日蔭者の子らしいのがある。是れを眺めても、穢多の部落が幾通りかの階級に別れて居ることは知れた。親らしい男は馬を牽《ひ》いて、其小供の群に声を掛けて通り、姉らしい若い女は細帯を巻付けた儘《まゝ》で、いそ/\と二人の側を影のやうに擦抜《すりぬ》けた。斯うして無智と零落とを知らずに居る穢多町の空気を呼吸するといふことは、可傷《いたま》しいとも、恥かしいとも、腹立たしいとも、名のつけやうの無い思をさせる。『吾儕《われ/\》を誰だと思ふ。』と丑松は心に憐んで、一時《いつとき》も早く是処を通過ぎて了《しま》ひたいと考へた。
『先生――行かうぢや有ませんか。』
と丑松はそこに佇立《たゝず》み眺《なが》めて居る蓮太郎を誘ふやうにした。
『見たまへ、まあ、斯の六左衛門の家《うち》を。』と蓮太郎は振返つて、『何処《どこ》から何処まで主人公の性質を好く表してるぢや無いか。つい二三日前、是の家に婚礼が有つたといふ話だが、君は其様《そん》な噂《うはさ》を聞かなかつたかね。』
『婚礼?』と丑松は聞咎《きゝとが》める。
『その婚礼が一通りの婚礼ぢや無い――多分|彼様《あゝ》いふのが政治的結婚とでも言ふんだらう。はゝゝゝゝ。政事家の為《す》ることは違つたものさね。』
『先生の仰《おつしや》ることは私に能《よ》く解りません。』
『花嫁は君、斯の家の娘さ。御聟《おむこ》さんは又、代議士の候補者だから面白いぢやないか――』
『ホウ、代議士の候補者? まさか彼の一緒に汽車に乗つて来た男ぢや有ますまい。』
『それさ、その紳士さ。』
『へえ――』と丑松は眼を円くして、『左様《さう》ですかねえ――意外なことが有れば有るものですねえ――』
『全く、僕も意外さ。』といふ蓮太郎の顔は輝いて居たのである。
『しかし何処で先生は其様《そん》なことを御聞きでしたか。』
『まあ、君、宿屋へ行つて話さう。』
第九章
(一)
一軒、根津の塚窪《つかくぼ》といふところに、未《ま》だ会葬の礼に泄《も》れた家が有つて、丁度|序《ついで》だからと、丑松は途中で蓮太郎と別れた。蓮太郎は旅舎《やどや》へ。直に後から行く約束して、丑松は畠中の裏道を辿《たど》つた。塚窪の坂の下まで行くと、とある農家の前に一人の飴屋《あめや》、面白|可笑《をか》しく唐人笛《たうじんぶえ》を吹立てゝ、幼稚《をさな》い客を呼集めて居る。御得意と見えて、声を揚げて飛んで来る男女《をとこをんな》の少年もあつた――彼処《あすこ》からも、是処《こゝ》からも。あゝ、少年の空想を誘ふやうな飴屋の笛の調子は、どんなに頑是《ぐわんぜ》ないものゝ耳を楽ませるであらう。いや、買ひに集る子供ばかりでは無い、丑松ですら思はず立止つて聞いた。妙な癖で、其笛を聞く度に、丑松は自分の少年時代を思出さずに居られないのである。
何を隠さう――丑松が今指して行く塚窪の家には、幼馴染《をさななじみ》が嫁《かたづ》いて居る。お妻といふのが其女の名である。お妻の生家《さと》は姫子沢に在つて、林檎畠一つ隔《へだ》てゝ、丑松の家の隣に住んだ。丑松がお妻と遊んだのは、九歳《こゝのつ》に成る頃で、まだ瀬川の一家族が移住して来て間も無い当時のことであつた。もと/\お妻の父といふは、上田の在から養子に来た男、根が苦労人ではあり、他所者《よそもの》でもあり、するところからして、自然《おのづ》と瀬川の家にも後見《うしろみ》と成つて呉れた。それに、丑松を贔顧《ひいき》にして、伊勢詣《いせまうで》に出掛けた帰途《かへりみち》なぞには、必ず何か買つて来て呉れるといふ風であつた。斯う
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