跡へ行つても、大抵は桑畠《くはばたけ》。士族といふ士族は皆な零落して了つた。今日迄|踏堪《ふみこた》へて、どうにかかうにか遣つて来たものは、と言へば、役場へ出るとか、学校へ勤めるとか、それ位のものさ。まあ、士族ほど役に立たないものは無い――実は我輩も其一人だがね。はゝゝゝゝ。』
 と敬之進は寂しさうに笑つた。やがて盃の酒を飲乾して、一寸舌打ちして、それを丑松へ差し乍ら、
『一つ交換といふことに願ひませうか。』
『まあ、御酌《おしやく》しませう。』と丑松は徳利を持添へて勧めた。
『それは不可《いかん》。上げるものは上げる、頂くものは頂くサ。え――君は斯の方は遣《や》らないのかと思つたが、なか/\いけますねえ。君の御手並を拝見するのは今夜始めてだ。』
『なに、私のは三盃上戸《さんばいじやうご》といふ奴なんです。』
『兎《と》に角《かく》、斯盃は差上げます。それから君のを頂きませう。まあ君だから斯様《こん》なことを御話するんだが、我輩なぞは二十年も――左様《さやう》さ、小学教員の資格が出来てから足掛十五年に成るがね、其間唯同じやうなことを繰返して来た。と言つたら、また君等に笑はれるかも知れな
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