豪《えら》く成つた人はいくらもある。』
『はゝゝゝゝ、土屋君の観察は何処迄も生理的だ。』
『いや、左様《さう》笑つたものでも無い。見たまへ、病気は一種の哲学者だから。』
『して見ると、穢多が彼様《あゝ》いふものを書くんぢや無い、病気が書かせるんだ――斯う成りますね。』
『だつて、君、左様《さう》釈《さと》るより外に考へ様は無いぢやないか――唯新平民が美しい思想を持つとは思はれないぢやないか――はゝゝゝゝ。』
 斯ういふ話を銀之助と文平とが為して居る間、丑松は黙つて、洋燈《ランプ》の火を熟視《みつ》めて居た。自然《おのづ》と外部《そと》に表れる苦悶の情は、頬の色の若々しさに交つて、一層その男らしい容貌《おもばせ》を沈欝《ちんうつ》にして見せたのである。
 茶が出てから、三人は別の話頭《はなし》に移つた。奥様は旅先の住職の噂《うはさ》なぞを始めて、客の心を慰める。子坊主は隣の部屋の柱に凭《もた》れて、独りで舟を漕いで居た。台所の庭の方から、遠く寂しく地響のやうに聞えるは、庄馬鹿が米を舂《つ》く音であらう。夜も更《ふ》けた。

       (六)

 友達が帰つた後、丑松は心の激昂を制《お
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