なんですか。』
『たしか高等師範でしたらう。』
『斯ういふ話を聞いたことが有ましたツけ。彼の先生が長野に居た時分、郷里の方でも兎《と》に角《かく》彼様《あゝ》いふ人を穢多の中から出したのは名誉だと言つて、講習に頼んださうです。そこで彼の先生が出掛けて行つた。すると宿屋で断られて、泊る所が無かつたとか。其様《そん》なことが面白くなくて長野を去るやうになつた、なんて――まあ、師範校を辞《や》めてから、彼の先生も勉強したんでせう。妙な人物が新平民なぞの中から飛出したものですなあ。』
『僕も其は不思議に思つてる。』
『彼様《あん》な下等人種の中から、兎に角思想界へ頭を出したなんて、奈何《どう》しても私には其理由が解らない。』
『しかし、彼の先生は肺病だと言ふから、あるひは其病気の為に、彼処《あそこ》まで到《い》つたものかも知れません。』
『へえ、肺病ですか。』
『実際病人は真面目ですからなあ。「死」といふ奴を眼前《めのまへ》に置いて、平素《しよつちゆう》考へて居るんですからなあ。彼の先生の書いたものを見ても、何となく斯う人に迫るやうなところがある。あれが肺病患者の特色です。まあ彼の病気の御蔭で
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