て、銀之助は思ふことを尽さなかつた。折角《せつかく》言ふ積りで来て、それを尽さずに帰るのも残念だし、栗飯が出来たからと引留められもするし、夜にでもなつたらば、と斯う考へて、心の中では友達のことばかり案じつゞけて居た。
夕飯は例になく蔵裏《くり》の下座敷であつた。宵の勤行《おつとめ》も済んだと見えて、給仕は白い着物を着た子坊主がして呉れた。五分心《ごぶしん》の灯は香の煙に交る夜の空気を照らして、高い天井の下をおもしろく見せる。古壁に懸けてある黄な法衣《ころも》は多分住職の着るものであらう。変つた室内の光景《ありさま》は三人の注意を引いた。就中《わけても》、銀之助は克《よ》く笑つて、其高い声が台所迄も響くので、奥様は若い人達の話を聞かずに居られなかつた。終《しまひ》にはお志保までも来て、奥様の傍に倚添《よりそ》ひ乍ら聞いた。
急に文平は快活らしくなつた。妙に婦人の居る席では熱心になるのが是男の性分で、二階に三人で話した時から見ると、この下座敷へ来てからは声の調子が違つた。天性|愛嬌《あいけう》のある上に、清《すゞ》しい艶のある眸《ひとみ》を輝かし乍ら、興に乗つてよもやまの話を初めた時は
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