しかた》の娘の声であらう。これも亦《また》、招《よ》ばれて行く妓《こ》と見え、箱屋一人連れ、褄《つま》高く取つて、いそ/\と二人の前を通過ぎた。
客の笑声は手に取るやうに聞えた。其中には校長や郡視学の声も聞えた。人々は飲んだり食つたりして時の移るのも知らないやうな様子。
『瀬川君、大層陽気ぢやないか。』と敬之進は声を潜《ひそ》めて、『や、大一座《おほいちざ》だ。一体|今宵《こんや》は何があるんだらう。』
『まだ風間さんには解らないんですか。』と丑松も聞耳を立て乍ら言つた。
『解らないさ。だつて我輩は何《なん》にも知らないんだもの。』
『ホラ、校長先生の御祝でさあね。』
『むゝ――むゝ――むゝ、左様《さう》ですかい。』
一曲の唄が済んで、盛な拍手が起つた。また盃の交換《やりとり》が始つたらしい。若い女の声で、『姉さん、お銚子』などと呼び騒ぐのを聞捨てゝ、丑松敬之進の二人は三浦屋の側《わき》を横ぎつた。
車は知らない中に前《さき》へ行つて了つた。次第に歌舞の巷を離れると、太鼓の音も遠く聞えなくなる。敬之進は嘆息したり、沈吟したりして、時々絶望した人のやうに唐突《だしぬけ》に大きな声を
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