。何卒《どうか》して我輩も、もう一度君等のやうに若くなつて見たいなあ。あゝ、人間も我輩のやうに老込んで了つては駄目だねえ。』

       (六)

 車は遅かつた。丑松敬之進の二人は互に並んで話し/\随いて行つた。とある町へ差掛かつた頃、急に車夫は車を停めて、冷々《ひや/″\》とした空気を呼吸し乍《なが》ら、額に流れる汗を押拭つた。見れば町の空は灰色の水蒸気に包まれて了《しま》つて、僅に西の一方に黄な光が深く輝いて居る。いつもより早く日は暮れるらしい。遽《にはか》に道路《みち》も薄暗くなつた。まだ灯《あかり》を点《つ》ける時刻でもあるまいに、もう一軒点けた家《うち》さへある。其軒先には三浦屋の文字が明白《あり/\》と読まれるのであつた。
 盛な歓楽の声は二階に湧上つて、屋外《そと》に居る二人の心に一層の不愉快と寂寥《さびしさ》とを添へた。丁度人々は酒宴《さかもり》の最中。灯影《ほかげ》花やかに映つて歌舞の巷《ちまた》とは知れた。三味《しやみ》は幾挺かおもしろい音《ね》を合せて、障子に響いて媚《こ》びるやうに聞える。急に勇しい太鼓も入つた。時々唄に交つて叫ぶやうに聞えるは、囃方《はや
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