も、悲しいとも、可笑《をか》しいとも、何ともかとも名の附けやうのない心地《こゝろもち》は烈しく胸の中を往来し始める。追憶《おもひで》の情は身に迫つて、無限の感慨を起させるのであつた。それは十一月の近《ちかづ》いたことを思はせるやうな蕭条《せうでう》とした日で、湿つた秋の空気が薄い烟《けぶり》のやうに町々を引包んで居る。路傍《みちばた》に黄ばんだ柳の葉はぱら/\と地に落ちた。
 途中で紙の旗を押立てた少年の一群《ひとむれ》に出遇つた。音楽隊の物真似、唱歌の勇しさ、笛太鼓も入乱れ、足拍子揃へて面白可笑しく歌つて来るのは何処の家《うち》の子か――あゝ尋常科の生徒だ。見れば其後に随いて、少年と一緒に歌ひ乍ら、人目も関はずやつて来る上機嫌の酔漢《さけよひ》がある。蹣跚《よろ/\》とした足元で直に退職の敬之進と知れた。
『瀬川君、一寸まあ見て呉れ給へ――是が我輩の音楽隊さ。』
 と指《ゆびさ》し乍ら熟柿《じゆくし》臭《くさ》い呼吸《いき》を吹いた。敬之進は何処かで飲んで来たものと見える。指された少年の群は一度にどつと声を揚げて、自分達の可傷《あはれ》な先生を笑つた。
『始めえ――』敬之進は戯れに指
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