と風間さんは直に家の事情、家の事情だ。誰だつて家の事情のないものはありやしません。まあ、恩給のことなぞは絶念《あきら》めて、折角《せつかく》御静養なさるが可《いゝ》でせう。』
 斯う撥付《はねつ》けられては最早《もう》取付く島が無いのであつた。丑松は気の毒さうに敬之進の横顔を熟視《みまも》つて、
『どうです風間さん、貴方からも御願ひして見ては。』
『いえ、只今の御話を伺へば――別に――私から御願する迄も有ません。御言葉に従つて、絶念《あきら》めるより外は無いと思ひます。』
 其時小使が重たさうな風呂敷包を提げて役場から帰つて来た。斯《こ》のしらせを機《しほ》に、郡視学は帽子を執つて、校長に送られて出た。

       (四)

 男女の教員は広い職員室に集つて居た。其日は土曜日で、月給取の身にとつては反つて翌《あす》の日曜よりも楽しく思はれたのである。茲《こゝ》に集る人々の多くは、日々《にち/\》の長い勤務《つとめ》と、多数の生徒の取扱とに疲《くたぶ》れて、さして教育の事業に興味を感ずるでもなかつた。中には児童を忌み嫌ふやうなものもあつた。三種講習を済まして、及第して、漸《やうや》く
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