謂《いはゆる》穢多町です。叔父の話によりますと、彼処は全町同じ苗字を名乗つて居るといふことでしたツけ。其苗字が、確か瀬川でしたツけ。』
『成程ねえ。』
『今でも向町の手合は苗字を呼びません。普通に新平民といへば名前を呼捨です。おそらく明治になる前は、苗字なぞは無かつたのでせう。それで、戸籍を作るといふ時になつて、一村|挙《こぞ》つて瀬川と成つたんぢや有るまいかと思ふんです。』
『一寸待ちたまへ。瀬川君は小諸の人ぢや無いでせう。小県《ちひさがた》の根津の人でせう。』
『それが宛《あて》になりやしません――兎に角、瀬川とか高橋とかいふ苗字が彼《あ》の仲間に多いといふことは叔父から聞きました。』
『左様言はれて見ると、我輩も思当ることが無いでも無い。しかしねえ、もし其が事実だとすれば、今迄知れずに居る筈も無からうぢやないか。最早《もう》疾《とつく》に知れて居さうなものだ――師範校に居る時代に、最早知れて居さうなものだ。』
『でせう――それそこが瀬川君です。今日《こんにち》まで人の目を暗《くらま》して来た位の智慧《ちゑ》が有るんですもの、余程|狡猾《かうくわつ》の人間で無ければ彼《あ》の真似は
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