やうに言ひ入れて、振舞の座には神主坊主と同席に座《す》ゑられ、すこしは地酒の飲みやうも覚え、土地の言葉も可笑《をか》しくなく使用《つか》へる頃には、自然と学問を忘れて、無教育な人にも馴染《なじ》むものである。賢いと言はれる教育者は、いづれも町会議員なぞに結托して、位置の堅固を計るのが普通だ。
 帽子を執《と》つて帰つて行く人々の後に随いて、校長はそこ迄見送つて出た。軈《やが》て玄関で挨拶して別れる時、互に斯ういふ言葉を取替《とりかは》した。
『では、郡視学さんも御誘ひ下すつて、学校から直に御出を。』
『恐れ入りましたなあ。』

       (二)

『小使。』
 と呼ぶ校長の声は長い廊下に響き渡つた。
 生徒はもう帰つて了つた。教場の窓は皆な閉つて、運動場《うんどうば》に庭球《テニス》する人の影も見えない。急に周囲《そこいら》は森閑《しんかん》として、時々職員室に起る笑声の外には、寂《さみ》しい静かな風琴の調《しらべ》がとぎれ/\に二階から聞えて来る位のものであつた。
『へい、何ぞ御用で御座《ござい》ますか。』と小使は上草履を鳴らして駈寄る。
『あ、ちよと、気の毒だがねえ、もう一度役
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