え、まあ、俺も心配したらう。あゝ今夜からは三人で安気《あんき》に寝られる。』
 牛肉を満載した車は二人の傍を通過ぎた。枯々な桑畠《くはばたけ》の間には、其車の音がから/\と響き渡つて、随《つ》いて行く犬の叫び声も何となく喜ばしさうに聞える。心の好い叔父は唯訳も無く身を祝つて、顔の薄痘痕《うすあばた》も喜悦《よろこび》の為に埋もれるかのやう。奈何《どう》いふ思想《かんがへ》が来て今の世の若いものゝ胸を騒がせて居るか、其様《そん》なことはとんと叔父には解らなかつた。昔者の叔父は、斯《こ》の天気の好いやうに、唯一族が無事でさへあれば好かつた。軈《やが》て、考深い目付を為て居る丑松を促《うなが》して、昼仕度を為るために急いだのである。
 昼食《ちうじき》の後、丑松は叔父と別れて、単独《ひとり》で弁護士の出張所を訪ねた。そこには蓮太郎が細君と一緒に、丑松の来るのを待受けて居たので。尤《もつと》も、一同で楽しい談話《はなし》をするのは三時間しか無かつた。聞いて見ると細君は東京の家へ、蓮太郎と弁護士とは小諸の旅舎《やどや》まで、其日四時三分の汽車で上田を発つといふ。細君は深く夫の身の上を案じるかして
前へ 次へ
全486ページ中218ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング