情《おもひやり》は妙なもので、反つて底意を汲ませないやうなことがある。それに蓮太郎の筆は、面白く読ませるといふよりも、考へさせる方だ。終《しまひ》には丑松も書いてあることを離れて了つて、自分の一生ばかり思ひつゞけ乍ら読んだ。
 今日まで丑松が平和な月日を送つて来たのは――主に少年時代からの境遇にある。そも/\は小諸の向町《むかひまち》(穢多町)の生れ。北佐久の高原に散布する新平民の種族の中でも、殊に四十戸ばかりの一族《いちまき》の『お頭《かしら》』と言はれる家柄であつた。獄卒《らうもり》と捕吏《とりて》とは、維新前まで、先祖代々の職務《つとめ》であつて、父はその監督の報酬《むくい》として、租税を免ぜられた上、別に俸米《ふち》をあてがはれた。それ程の男であるから、貧苦と零落との為め小県郡の方へ家を移した時にも、八歳の丑松を小学校へやることは忘れなかつた。丑松が根津村《ねづむら》の学校へ通ふやうになつてからは、もう普通《なみ》の児童《こども》で、誰もこの可憐な新入生を穢多の子と思ふものはなかつたのである。最後に父は姫子沢《ひめこざは》の谷間《たにあひ》に落着いて、叔父夫婦も一緒に移り住んだ
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