《そん》なことは大丈夫です。』
斯う言つて急いだ。
(三)
『大丈夫です』とは言つたものゝ、其実丑松は蓮太郎だけに話す気で居る。先輩と自分と、唯二人――二度とは無い、斯《か》ういふ好い機会は。と其を考へると、丑松の胸はもう烈しく踊るのであつた。
枯々とした草土手のところで、丑松は蓮太郎と一緒に成つた。聞いて見ると、先輩は細君を上田に残して置いて、其日の朝根津村へ入つたとのこと。連《つれ》は市村弁護士一人。尤《もつと》も弁護士は有権者を訪問する為に忙《せは》しいので、旅舎《やどや》で別れて、蓮太郎ばかり斯の姫子沢へ丑松を尋ねにやつて来た。都合あつて演説会は催さない。随つて斯の村で弁護士の政論を聞くことは出来ないが、そのかはり蓮太郎は丑松とゆつくり話せる。まあ、斯ういふ信濃の山の上で、温暖《あたゝか》な小春の半日を語り暮したいとのことである。
其日のやうな楽しい経験――恐らく斯の心地《こゝろもち》は、丑松の身にとつて、さう幾度もあらうとは思はれなかつた程。日頃敬慕する先輩の傍に居て、其人の声を聞き、其人の笑顔を見、其人と一緒に自分も亦た同じ故郷の空気を呼吸するとは。
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